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大阪の旅と歴史
大阪の旅       阪南市

波太神社
はたじんじゃ
大阪府阪南市石田167
Tel 072-472-0951


 波太神社は延喜式に名を残す式内社です。第11代垂仁天皇の時代、当地を下賜された天湯河板擧命(あめのゆかわたなのみこと)(天湯河棚命)が創祀したと伝えられています。祭神は鳥取氏の祖であるという角凝命(つのこりのみこと)です。天湯河棚命はその子孫になるといわれています。
 南北朝時代の永徳年間(1381-1383)に貝掛の指出森神社(応神天皇)を合祀し、波太八幡宮と呼ばれました。和泉国神名帳には日根郡19社の中に「正四位下波太社」と記されています。天正5年(1577)、織田信長が紀州雑賀を攻めた時、ここに本陣を置いたそうです。
 何度も兵火のため焼失し、再建されてきました。慶長年間(1596-1615)に、豊臣秀頼によっても再建されています。拝殿奥の中央にが波太神社本殿があり、左側が末社・三社本殿が鎮座しています。ともに国の重要文化財に指定されています。


波太神社本殿(国重文)
 波太神社の本殿は銅板葺きの三間社流造りです。角凝命を主神とする波太宮(はたぐう)と応神天皇を祭る八幡宮があり、相の間で繋がっています。正面には千鳥破風と軒唐破風が付けられています。、
波太神社本殿
 長い庇は組木や柱、彫刻を施した虹型の梁で支えられ、側面にも手の込んだ飾りが見られます。江戸時代前期の寛永15年(1638)に建てられたことが棟木に打ち付けられた木札によってわかります。本殿は平成5年(1993)に国の重要文化財に指定されています。
波太神社本殿

波太神社末社三社本殿(国重文)
 波太神社の末社である三神社(南殿)は本殿より小型の銅板葺きの三間社流造りです。神功皇后・武内宿禰(たけのうちのすくね)・天湯河棚命を祭神として祀っています。本殿と同時期の寛永15年(1638)頃に建てられたと思われます。本殿と同じく平成5年(1993)に国の重要文化財に指定されています。
末社・三社本殿

波太神社拝殿
 波太神社の拝殿は昭和10年(1935)頃に再建された大きくて立派な社殿です。拝殿前の中央の石灯篭は慶長5年(1600)に建てられています。豊臣秀頼の重臣で社殿再建の奉行をした片桐且元が寄進したものと伝えられています。
波太神社拝殿


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