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大阪の旅と歴史
大阪の旅       貝塚市

願泉寺
がんせんじ
大阪府貝塚市中846
Tel :072-422-1302


 金凉山(きんりょうさん)願泉寺は浄土真宗本願寺派のお寺で、俗に貝塚御坊とも呼ばれます。行基が始まりと伝えられ、本尊の阿弥陀如来立像も行基作といわれています。応仁年間(1467-1468)に浄土真宗本願寺の蓮如が立ち寄って教えを説いています。
 天文14年(1545)に卜半斎了珍(ぼくはんさいりょうちん)が根来寺より招聘され、堂宇が再興され真宗の道場となりました。天正5年(1577)、信長の雑賀攻めで全焼しましたが、3年後に了珍と門徒により復興し、天正8年(1580)には豊臣秀吉から寺内諸役免除の朱印状が下されています。
 天正11年(1583)、紀州鷺森御坊に退去していた本願寺第11代・顕如を迎え、2年間、本願寺の本山となりました。その後本願寺は大坂天満に移り、慶長12年(1607)、本願寺准如から願泉寺の寺号を授けられました。慶長15年(1610)、徳川家康から貝塚寺内町が朱印地と認められ、卜半(ぼくはん)家は自治権を認められました。
 僧でありながら武士を雇って、近隣諸藩から独立した立場を明治まで続けました。また、明治までは東西本願寺と関係を持ち、両本山歴代門主の絵像を所蔵しています。本堂(附指定で鐘楼、築地塀、目隠塀を含む)、太鼓堂、表門などの建造が国の重要文化財に指定されています。


願泉寺本堂(国重文)
 願泉寺の本堂は間口27.8m、奥行27m、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、正面に1間の向拝があります。江戸時代中期の寛文3年(1663)に再建された建物です。浄土真宗の本山にもなって貝塚御坊とも呼ばれた寺の本堂にふさわしい立派な造りです。
願泉寺本堂
 大工棟梁は、三ツ松村(現貝塚市)出身の岸上和泉守貞由と伝えられ、貝塚寺内や近隣の人々からの寄進を受けて建てられています。内陣と外陣の境の欄間には、中国説話「二十四考」を題材 とした見事な彫刻が施されています。本堂は平成5年(1993)に国の重要文化財に指定されています。
願泉寺本堂

願泉寺太鼓堂(国重文)
 願泉寺の太鼓堂は間口3間、奥行3間、入母屋造り、本瓦葺きで、二重二階の建物です。江戸時代中期の享保4年(1719)に再建された建物です。内部には仏事で使用される太鼓が備えられています。太鼓堂は平成5年(1993)に国の重要文化財に指定されました。平成10年(1998)の台風で被害に遭い大修復されています。
願泉寺太鼓堂

願泉寺表門(国重文)
 願泉寺の表門は、切妻造り、本瓦葺きの四脚門です。江戸時代中期の延宝7年(1679)に再建されたものです。平成5年(1993)に国の重要文化財に指定されています。
願泉寺表門

願泉寺鐘楼(国重文)
 願泉寺の鐘楼は昭和20年(1945)の空襲によって焼失しため、貝塚市の青松寺から移築されたものです。元禄15年(1702)に建てられたもので、梵鐘は、鎌倉時代の貞応3年(1224)に鋳造されています。鐘楼は平成5年(1993)に本堂の附指定で国の重要文化財に指定されています。
願泉寺鐘楼

願泉寺築地塀(国重文)
 願泉寺表門の両脇にある築地塀は寛文11年(1671)に再建されたものです。築地塀は平成5年(1993)に本堂の附指定で国の重要文化財に指定されています。
願泉寺築地塀

願泉寺目隠塀(国重文)
 願泉寺の目隠塀は本瓦葺きで、本堂正面に建てられています。江戸時代中期の寛文3年(1663)に再建されたものです。平成5年(1993)に本堂の附指定で国の重要文化財に指定されています。
願泉寺目隠塀


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