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大阪の旅と歴史
大阪の旅       貝塚市

水間寺
みずまでら
大阪府貝塚市水間638
Tel 072-446-1355


 龍谷山水間寺は天台宗のお寺です。天平16年(744)に聖武天皇の勅願により行基が開創したと伝えられています。病床の聖武天皇の夢に現れた観音菩薩を求め、行基は2つの川(葛城山から流れてくる近木川と、その支流の秬谷川)が合流する「水間」にやってきました。
 そこで観音の化身である16人の童子に出会い、谷間に向かうと白髪の老人がいました。手に一体の仏様を捧げ「汝を待つこと久し」と言い、自分の手首を噛み切って、その尊像を行基に渡し、老人は龍となりました。授かった聖観世音菩薩を天皇に捧げたところ全快されたと伝わっています。
 水間寺は堂坊151、寺領2万450石を領し繁栄しました。しかし15世紀末に紀州・根来寺の支配下となったことで、天正13年(1585)、豊臣秀吉の根来攻めで、堀秀政の軍勢に焼き討ちされました。七堂伽藍をはじめ坊舎は灰燼に帰しました。
 天正17年(1589)、岸和田城主・小出秀政により再興されましたが、延宝年間(1673-1681)に焼失し、元禄年間(1688-1704)に城主の助力で伽藍は再建されました。しかし、天明4年(1784)の火災で、再び本堂や三重塔などが焼失し、文化8年(1811)、岸和田藩主・岡部長愼(ながちか)が再建しています。
 境内には本堂、三重塔、開山堂、愛染堂、薬師堂、弁天堂、護摩堂、経堂、鐘楼などが建ち並んでいます。愛染堂は縁結びの神として有名で、堂の前にお夏清十郎の墓があります。新西国三十三ヶ所観音霊場の第4番の札所でもあり、「水間観音」と呼ばれ親しまれているお寺です。


水間寺本堂
 水間寺の本堂は間口7間(23m)、奥行7間(23m)、単層、本瓦葺きで、周囲に1間の庇(ひさし)をめぐらしています。全体に木太く、組物は装飾的です。岸和田藩主岡部長愼の寄進により、文化8年(1811)に再建された建物です。
水間寺本堂
 本尊の身丈1寸8分の聖観世音菩薩は秘仏のため見ることはできませんが、本堂正面のお前立聖観音菩薩立像を拝むことができます。水間寺の本堂は大阪府下でも最大級クラスの本堂で、貝塚市の有形文化財に指定されています。
水間寺本堂

水間寺三重塔
 水間寺の三重塔は本瓦葺き、3間四方、木造三重塔婆です。天保5年(1834)に再建されたもので、明治以前に建てられた大阪府内唯一の三重の塔です。井原西鶴の「日本永代蔵」に記載されたモデルの塔といわれ、貝塚市の有形文化財に指定されています。
水間寺三重塔

水間寺経堂
 水間寺経堂には聖武天皇の妙典、光明皇后の般若経、慈覚大師の妙法経が納められていました。兵火に遭い全てを焼失しましたが、高倉天皇の勅命で大般若経の一部の写本が納められました。このお堂に安置されている尊像は、傅大師(ふだいし)とその長男、次男です。
水間寺経堂

水間寺護摩堂
 水間寺の護摩堂は本堂の南側にあります。寄棟造り、本瓦葺きの建物で、平成25年(2013)に再建されたばかりの建物です。ここには一切の悪魔を降伏させるという不動明王が祀られています。不動明王はあらゆる障害を焼き尽くす、大智の火を身から発するといわれ、大日如来の使者となって真言信者を守護する役割を担っています。
水間寺護摩堂

水間寺愛染堂
 水間寺の愛染堂には愛染明王が祀られています。愛染明王は、愛欲染着を本体とする明王で、祈る者には敬愛の徳を授け、縁を結び、福を与えるといわれています。愛染堂の前にはお夏清十郎の墓が建てられています。清十郎に会いたい一心で愛染堂に毎晩祈願を続けたお夏がその恋を成就させたといわれています。
水間寺愛染堂

お夏清十郎の墓
 水間の豪農楠右エ門の娘・お夏がこの愛染明王に祈願し、勅使であった山名清十郎との恋を成就させたといわれる「お夏清十郎」は井原西鶴の浮世草紙「好色五人女」やそれを脚色した近松門左衛門の世話物「五十年忌歌念仏」などの元になった物語です。
お夏清十郎の墓

千日隔夜宝篋印
 境内には千日隔夜宝篋印塔が建てられています。この宝篋印塔は享保12年(1727)に建てられたようです。基礎の一面に、前かがみになって胸の前に鈷をさげ、念仏を唱えて歩いている隔夜僧の浮き彫りがあります。阪南市の大願寺にある宝篋印塔も同じ人によって建てられています。
千日隔夜宝篋印塔


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