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大阪の旅と歴史
大阪の旅       河内長野市

金剛寺
こんごうじ
大阪府河内長野市天野町996
Tel 0721-52-2046


 天野山金剛寺は真言宗御室派のお寺で、女人高野の名で知られる名刹です。天平年間(729-749)、聖武天皇の勅願により行基が開山しています。永万年間(1165-1166)高野山の阿観(あかん)上人が入山し、承安2年(1172)に金堂・宝塔・御影堂などが建てられました。
 後白河法皇の妹八条女院(藤原璋子(しょうし))の祈願所となり、一切の行事を高野山と同じ様にしました。女性が弘法大師(空海)と縁を結ぶ霊場としたため、爾来(じらい)、女人高野といわれるようになりました。
 南北朝時代には後醍醐天皇、後村上天皇の帰信が篤く、塔頭の摩尼院(まにいん)は後村上天皇の行在所となりました。そして長慶、後亀山天皇の3代20年間の行宮(あんぐう)となり、天野行宮、天野殿と呼ばれました。
 正平15年(1361)、足利義詮の兵火で被害を受けましたが、皇室、武家から崇敬され、豊臣秀吉からは天正11年(1583)に寺領300石を受け、秀頼により諸堂宇が修築されています。徳川幕府からは308石の朱印を与えられ、綱吉は元禄13年(1700)に諸堂宇を修築しています。
 広い境内地には、古い歴史を物語る諸堂が建ち並んでいます。金剛寺境内は国の史跡で、鐘楼、楼門、食堂、金堂、多宝塔、御影堂、観月亭、摩尼院は国重文です。延喜式神名帳や 延喜式第十二残巻など国宝の文書やたくさんの文化財を所蔵しています。


摩尼院
 摩尼院(まにいん)は、天野山金剛寺の境内にある塔頭の一院です。阿観上人が金剛寺の中興を朝廷に奏上し、伽藍の諸堂が建立された際、山内に73もの坊舎が造られました。現存する3院のうちの一つです。南北朝時代、後村上天皇は6年間ここを仮の行在所とされました。
摩尼院
 正平14年(1359)、足利義詮の天野行宮への攻撃を受け、後村上天皇は、観心寺へ難を避けました。文中2年(1373)までの20年間、南朝3代の天野行宮が続きました。摩尼院には楠木正成の軍旗や、後醍醐天皇から賜った銀鞘龍紋の短刀(別名・ 子別れの短刀)が保存されています。
摩尼院

摩尼院書院(国重文)
 摩尼院の書院は間口16.9m、奥行12.5m、単層、入母屋造り、茅葺き、本瓦葺き、桟瓦葺きで、四面に庇があります。桃山時代の慶長年間(1596-1615)に造られた書院で、正規の様式を受け継いでいます。昭和40年(1965)に重要文化財に指定されました。 
摩尼院

金剛寺金堂(国重文)
 金剛寺の金堂は間口7間、奥行7間、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、正面に1間の向拝があります。鎌倉時代後期の元応2年(1320)に再建された建物で、慶長11年(1606)に大修理されています。本尊の木造大日如来坐像や脇侍の仏像は運慶作と伝えられています。明治33年(1900)に国の重要文化財に指定されています。
金剛寺金堂

金剛寺御影堂(国重文)
 金剛寺の御影堂(みえいどう)は間口4間、奥行4間、単層、宝形造り、檜皮葺きで、正面に1間の向拝があります。東側に観月亭を張り出しています。桃山時代の慶長11年(1606)に豊臣秀頼により再建された建物です。明治40年(1907)に国の重要文化財に指定されています。
金剛寺御影堂

金剛寺観月亭(国重文)
 金剛寺の観月亭は後村上天皇が月見をされた場所として有名です。間口は南側1間、北側2間、奥行1間、単層、檜皮葺きで、東側は向唐破風造り、西側は御影堂に繋がっています。慶長11年(1606)に豊臣秀頼により再建された建物で、御影堂の一部として、明治40年(1907)に国の重要文化財に指定されています。
金剛寺観月亭

金剛寺楼門(国重文)
 金剛寺の楼門は入母屋造り、本瓦葺きの三間一戸の楼門です。鎌倉時代後期の建治から元弘年間(1275-1332)頃に再建された建物と考えられています。慶長10年(1605)に豊臣秀頼によって大改修されています。寛永9年(1632)の丸瓦があり、それより以前に板葺きから本瓦に改修されたようです。明治40年(1907)に国の重要文化財に指定されています。
金剛寺楼門

金剛寺食堂(天野殿)(国重文)
 金剛寺の食堂(じきどう)は天野殿とも呼ばれています。後村上天皇が金剛寺に行在中の6年間、この食堂を正殿として政庁に使用されたからです。間口7間、奥行3間、単層、入母屋造り、妻入、本瓦葺きで、正面に軒唐破風が付いています。室町初期の元弘から明徳年間(1333-1392)頃に再建された建物と思われます。昭和16年(1941)に国の重要文化財に指定されています。
金剛寺食堂

金剛寺鐘楼(国重文)
 金剛寺の鐘楼は間口3間、奥行2間、入母屋造り、本瓦葺きで袴腰が付いています。室町時代初期の元弘から明徳年間(1333-1392)頃に再建された建物と思われます。明治40年(1907)に国の重要文化財に指定されています。
金剛寺鐘楼

金剛寺多宝塔(国重文)
 金剛寺の多宝塔はこけら葺きの三間多宝塔です。平安時代後期の応徳から寿永年間(1086-1184)頃に建立された日本では最も古い多宝塔建築です。慶長11年(1606)から翌年まで豊臣秀頼によって大改修されています。明治40年(1907)に国の重要文化財に指定されています。
金剛寺多宝塔

金剛寺五佛堂
 金剛寺の五佛堂は宝形造りで、金堂改修工事中は仮本堂になっていました。慶長11年(1606)に建てられたもので、大阪府の有形文化財に指定されています。古くは、三宝院とか大日堂と呼ばれました。本尊は、平安時代作の五智如来で、国の重要文化財に指定されています
金剛寺五佛堂

金剛寺薬師堂
 金剛寺の薬師堂は五佛堂の左側にあります。桟瓦葺きで、間口3間、奥行3間の宝形造り、正面に1間の向拝があります。慶長11年(1606)に建てられたもので、昭和48年(1973)に大阪府の有形文化財に指定されています。
金剛寺薬師堂

金剛寺閼伽井屋
  金剛寺の閼伽井屋は五佛堂と御影堂の間の奥にあります。本尊や弘法大師にお供えする水を汲みあげる霊泉が涌いています。大阪府の有形文化財に指定されています。
金剛寺閼伽井屋


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