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大阪の旅と歴史
大阪の旅       堺市

法道寺
ほうどうじ
大阪府堺市南区鉢ケ峯寺401
Tel 072-297-0705


 鉢峯山法道寺は高野山真言宗のお寺で、鉢ケ峯寺(はちがみねじ)とも呼ばれます。寺伝によると天智天皇の白鳳10年(670)に伝説の法道仙人により創建されたと伝えられています。閑谷院長福寺と称し、飛鉢(ひはつ)の法を行って繁栄し、多くの子院を擁した大寺院になったそうです。
 平安時代になると弘法大師(空海)、伝教大師(最澄)、慈覚大師(円仁)などの名僧が参籠し、仏像を刻んで安置したと伝えられています。また嵯峨天皇は高野山への行幸の際に立ち寄ったといわれています。
 南北朝時代には、楠木正成の一族であった橋本正員(まさかず)の菩提寺となり、南朝の後村上天皇が仮御所の天野山金剛寺より、度々参拝されたそうです。戦国時代になると兵火により焼失し衰退しました。
 江戸時代の享保元年(1716)、8代将軍徳川吉宗の嫡子が長福丸(ながとみまる)と命名されたため、長福寺を改め、開基の法道仙人から法道寺と寺名を変えています。幕末期には衰退し、子院は僅か7坊となっていました。
 鎌倉時代後期の食堂、南北朝時代の多宝塔は、国の重要文化財に指定されています。また、南北朝時代に制作された仏画・十六羅漢像は漢画の系統に属する作品で、宋画の写しと考えられています。これも国の重要文化財に指定されています。


法道寺多宝塔(国重文)
 法道寺の多宝塔は本瓦葺きの三間多宝塔です。室町時代前期の正平23年(1368)に建てられています。上重は四手先組物で、肘木に鯱の彫物が施されています。扇状に広がる垂木配置や、下層の組物の先端の飾り、亀腹の上の蟇股などは、大変珍しい意匠です。明治35年(1902)に国の重要文化財に指定されています。
法道寺多宝塔

法道寺食堂(国重文)
 法道寺の食堂(じきどう)は僧侶が法会の際に食事などを行った所で、間口7間、奥行3間、単層、入母屋造り、本瓦葺きの建物です。鎌倉時代後期の建治から元弘年間(1275-1332)に建てられたと思われます。傾きが緩やかな屋根や柱上の簡素な組物などは、奈良時代以降に日本で発展した建築様式の特徴です。
法道寺食堂
 鎌倉時代の食堂は大阪府下では河内長野市の金剛寺とこの法道寺の食堂のわずか2棟あるだけで、大変貴重なものです。昭和35年(1960)に国の重要文化財に指定されています。
法道寺食堂

法道寺中門
 法道寺の中門は江戸時代に再建された仁王門です。安置されている金剛力士像の吽形(うんぎょう)から発見された墨書木札に鎌倉時代の弘安6年(1283)の銘が残されていました。金剛力士像は堺市の有形文化財に指定されています。
法道寺中門

法道寺金堂
 法道寺の金堂は中門の先に建てられています。江戸時代に建てられた堂宇です。屋根を大きく作り、細部に彫物を多用する江戸時代の特徴が出ています。慈覚大師円仁が篭って刻んだという本尊の「薬師如来像」を祀っています。
法道寺金堂

法道寺大師堂
 法道寺の大師堂は金堂の右前方にあります。江戸時代に建てられた宝形造りの建物です。大師堂の周りは石板で囲まれていて、四国八十八ヶ所霊場のお砂踏み場となっています。
法道寺大師堂


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