あなたは 番目の訪問者です。(ogino作成共通カウント)
直線上に配置
大阪の旅と歴史
大阪の旅       豊中市

日本民家集落博物館
にほんみんかしゅうらくはくぶつかん
大阪府豊中市服部緑地1ー2
Tel 06-6862-3137


 日本民家集落博物館は大阪北部の豊中市の服部緑地公園一角にある日本初の野外博物館で、昭和31年(1956)に開館しました。3万6千平方mもの広い敷地には東北の「南部の曲家」から奄美大島の「高倉」まで、日本の代表的な民家を移設しています。
 旧山田家住宅(信濃秋山の民家)、旧泉家住宅(摂津能勢の民家)、旧椎葉家住宅(日向椎葉の民家)は国の重要文化財に指定されています。旧大井家住宅(飛騨白川の合掌造り)は国の重要有形民俗文化財で、河内布施の長屋門、堂島の米蔵、北河内の茶室は国の登録有形文化財です。


旧山田家住宅(国重文)
 旧山田家住宅(信濃秋山の民家)は新潟県境に近い長野県下水内郡栄村上ノ原にあった民家を昭和36年(1961)に移築したものです。越後中門造りという雪国特有の造り方で18世紀中頃に建てられた民家です。家の周囲の壁は芽ぶきで、夏は薄く、冬は厚く葺き替えたようです。
旧山田家住宅
 前方に突き出た中門付の入口には便所と厩があります。内部は広間型の間取りで建具類がほとんど無く、床張りはせず、地面にムシロを敷いただけの土座住まいだったそうです。昭和39年(1964)に国の重要文化財に指定されています。
旧山田家住宅

旧泉家住宅(国重文)
 旧泉家住宅(摂津能勢の民家)は大阪府豊能郡能勢町吉野にあった民家を昭和35年(1960)に移築したものです。大阪の北端にある能勢(のせ)から、丹波・日本海にかけて分布している妻入り・入母屋造りの民家です。その中でも最も古い家と思われ、江戸時代初期と推定されています。
旧泉家住宅
 間取りは棟にそって2分され、片方は土間、もう片方は室となっています。家の規模は小さく、細く曲がった柱を一間ごとに立てています。軒は低く、片引戸を多く用いているので開口部は極めて少ない造りです。昭和39年(1964)に国の重要文化財に指定されています。
旧泉家住宅

旧椎葉家住宅(国重文)
 旧椎葉家住宅(日向椎葉の民家)は宮崎県東臼杵郡椎葉村にあった江戸末期に建てられた農家を昭和34年(1959)に移築したものです。急峻な山の斜面に建てられる「竿家造り(さおやづくり)」と呼ばれる並列間取りの部屋が、横一列に並んだ細長い造りです。
旧椎葉家住宅
 下手(向かって左側)よりドジ(土間)・ウチネ(茶の間)・デイ(下座敷)と部屋が並び、縁側に広く開口部を設けてあります。家の背後は山腹に接し、窓の無い板壁にして湿気や落石を防いでいます。主屋と馬屋は昭和48年(1973)に国の重要文化財に指定されています。
旧椎葉家住宅

旧大井家住宅
 旧大井家住宅(飛騨白川の合掌造り)は岐阜県大野郡白川村大牧にあった江戸後期の農家を昭和31年(1956)に移築したものです。茅葺き・切妻の大屋根が掌を合わせた形になっていることから合掌造りと呼ばれる造りです。
旧大井家住宅
 屋根は1階部分に固定されておらず、乗せてあるだけの柔構造で、強風に対して復元力があります。構造材は縄や「ネソ」と呼ばれる細い木で結びつけられています。1階は家族が住む場所で、2階以上は、養蚕の作業場として用いられました。昭和34年(1959)に国の重要有形民俗文化財に指定されています。
旧大井家住宅

旧塩川家長屋門
 旧塩川家長屋門(河内布施の長屋門)は大阪府東大阪市布施にあった江戸時代中期の長屋門を昭和34年(1959)に移築したものです。日本民家集落博物館の正門となっています。長屋門は農民では庄屋のみに許された格式ある門で、正面右側は使用人の部屋、左側は蔵になっています。国の登録有形文化財に登録されています。
旧塩川家長屋門

堂島の米蔵
 堂島の米蔵は大阪の堂島川に沿って建てられていた蔵を昭和35年(1960)に移築したものです。内部は展示室として使われています。瓦葺き、土蔵造りで、壁の厚さは約30cm、白漆喰で仕上げてあります。国の登録有形文化財に登録されています。
堂島の米蔵

旧丸田家住宅
 旧丸田家住宅(大和十津川の民家)は、奈良県吉野郡十津川村込ノ上から昭和38年(1963)に移築されました。山の斜面をけずって家が建てられたため、部屋が横に細長く1列に並ぶ間取りです。杉の産地だったため、うすくけずった杉皮や杉板が屋根に用いられています。大阪府の有形文化財に指定されています。
旧丸田家住宅

旧山下家住宅
 旧山下家住宅(越前敦賀の民家)は福井県敦賀市杉箸から昭和38年(1963)に移築されました。大浦型と呼ばれる福井県西部から湖北地方に多くみられる民家です。雪の重みに耐えられるように、太い梁材が用いられ、外側の柱は土壁に塗りこめられて補強されています。大阪府の有形文化財に指定されています。
旧山下家住宅

旧藤原家住宅
 旧藤原家住宅(南部の曲家)は南部の曲家(まがりや)の農家を昭和39年(1964)に移築したものです。大きな厩(うまや)と母屋をカギ型に接続させています。いろりは台所を切りこんで作られ、土足のまま火を囲むことができるようになっています。大阪府の有形文化財に指定されています。
旧藤原家住宅

旧重光家高倉
 旧重光家高倉(旧重光家高倉)は昭和33年(1958)に奄美大島宇検村部連から移築されたものです。ツバキ科のイジュという木で柱が造られています。堅いため、ねずみが爪をかけて登ることができないそうです。高倉は風通しが良く高温多湿な奄美大島の気候に最適な造りです。大阪府の有形文化財に指定されています。
旧重光家高倉

小豆島農村歌舞伎舞台
 小豆島農村歌舞伎舞台は香川県小豆郡内海町吉田の舞台を昭和38年(1963)に移築したものです。荒神社の境内に本殿と向かい合って建てられていました。刈取や田植えなどを祝って、村人たちが歌舞伎芝居を演じました。棟札により安政6年(1859)に建てられていました。大阪府の民俗文化財に指定されています。
小豆島農村歌舞伎舞台


大阪府トップページへ   旅と歴史トップページへ


直線上に配置

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送