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奈良の旅と歴史
滋賀の旅    愛知郡愛荘町

豊満神社
とよみつじんじゃ
滋賀県愛知郡愛荘町豊満392
Tel 0749-42-3448


 豊満神社は近江鉄道愛知川駅の南約2kmのところにあり、「お旗さん」と親しみをこめて呼ばれる神社です。4世紀頃、応神天皇を身に宿した神功皇后が朝鮮半島に出兵した際、日本軍の軍旗を始めて作った神社であるので「旗の宮」とか「幡の宮」と昔からいわれてきているのです。
 豊満神社は足仲彦命(たらしなかつひこのみこと)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)、譽田別命(ほだわけのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀っていて、古くから大国荘(旧愛智郡)の産土神でした。
 皇室、歴代領主や為政者にも崇敬庇護され、三条天皇からは勅願社として神位を授けられ、藤原俊成や中御門宜胤から神額の奉納、近江守護の佐々木氏、京極氏、六角氏からは安堵状を与えられ、源頼朝は戦勝祈願をしています。
 豊満神社の社殿は織田氏の兵火で四脚門などを除き、大半は焼失し、その後再建されました。天正13年(1585)には羽柴秀次が社領14石を寄進しています。安政元年(1854)四脚門を除き、社殿が焼失し、万延元年(1860)に再び再建されています。
 明治元年(1868年)に豊満大明神から現在の豊満神社に改称し、村社、郷社を経て、昭和5年(1930)に県社になっています。旗竿よりも、最近は豊満という名から女性の容姿向上や美人祈願で有名です。境内には国指定重要文化財の四脚門をはじめ、拝殿、中門・幣殿・本殿、樹下神社などが建ち並んでいます。


豊満神社四脚門(国重文)
 豊満神社の四脚門は元亨3年(1323)に再建された門で、明治35年(1902)に国の重要文化財に指定されています。入母屋造り、檜皮(ひわだ)こけら鎧葺き(檜皮とこけら板を交互に葺いた方法)の四脚門です。組物は繊細な造りで、太い柱と対照的です。
豊満神社四脚門

豊満神社拝殿
 豊満神社の拝殿は間口7間 奥行4間、 切妻造りです。拝殿の中には天保7年(1836)から昭和10年(1935)までの、たくさんの俳諧額が奉納されています。
豊満神社拝殿

豊満神社中門・幣殿・本殿
 豊満神社の奥には中門、幣殿、本殿が建てられています。本殿は間口3間、奥行3間の三間社流造りで、正徳元年(1711)に再建されています。
豊満神社中門・幣殿・本殿


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