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奈良の旅と歴史
滋賀の旅    蒲生郡安土町

安土城跡
あづちじょうせき
滋賀県近江八幡市安土町下豊浦


 安土の町並みの北側、海抜199mのところに安土城跡があります。ここは国の特別史跡に指定されています。
 お城の天守は天主とも書かれ、戦国時代末期までは造られてはいなかったようです。天正4年(1576)織田信長が着手した安土城が最初の天守だといわれています。

 天主は城主の威厳を示しました。信長はより権力を誇示するため金を使った天守閣を造り、自らが神となって旧態の権威をことごとく打ち破る新しい風を示したのです。
 安土城は5層7重で外面は各層が朱・青、白に塗られ、最上層は金色だったといわれています。城内には、狩野永徳が描いた墨絵で飾られた部屋や、金碧極彩色で仕上げた部屋などがあったそうです。
 当時実際に城を観覧し信長に謁見している宣教師ルイス・フロイスはその様子を次のように記しています。
 ・・・(城の)真中には、彼らが天守と呼ぶ一種の塔があり、我ら(ヨーロッパ)の塔よりもはるかに気品があり壮大な別種の建築である。
 この塔は七層から成り、内部、外部ともに驚くほど見事な建築技術で造営された。  事実、内部にあっては、四方の壁に描かれた金(色、その他)色とりどりの肖像が、そのすべてを埋めつくしている。
  外部では、これら(七層)の層ごとに種々の色分けがなされている。あるものは、日本で用いられている漆塗り、すなわち黒い漆を塗った窓を配した白壁となっており、それがこの上ない美観を呈している。他の(あるもの)は赤く、あるいは青く(塗られており)、最上層はすべて金色となっている。
 この天守は、他のすべての邸宅と同様に、我らがヨーロッパで知るかぎりのもっとも堅牢で華美な瓦で覆われている。それらは青色のように見え、前列(の瓦)にはことごとく金色の丸い取り付け(頭)がある。屋根にはしごく気品のある技巧をこらした形をした雄大な怪人面が置かれている。・・・
 このフロイスが記したように安土城は当時の日本最高の技術と芸術の粋を集大成して造られたのです。しかし天正10年(1582)、家臣であった明智光秀か゛信長を討つという本能寺の変のあと焼失、完成後わずか3年で廃城となってしまいました。


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