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奈良の旅と歴史
滋賀の旅    東近江市

弘誓寺
ぐぜいじ
滋賀県東近江市五個荘金堂町615
Tel 0748-48-2747


 石畠山弘誓寺(ぐぜいじ)は浄土真宗大谷派の古刹です。重要伝統的建造物群保存地区に指定されている金堂(こんどう)地区に、国指定重要文化財の本堂をはじめ、表門、太鼓堂、庫裏、庫裏門、鐘楼などの国の登録有形文化財に指定された堂宇が建ち並んでいます。
 正応3年(1290)、源平の屋島合戦で有名になった那須与一の孫の愚咄坊(ぐとつぼう)(俗名・那須資長)が開基となり石畑に一宇を設けたのが始まりです。正応5年(1292)に現在の弘誓寺という寺号を受け、神崎郡の躰光寺(たいこうじ)村に移りました。そして天正9年(1581)に現在地に移転しました。


弘誓寺本堂(国重文)
 弘誓寺の本堂は宝暦14年(1764)に高木作右衛門を棟梁に建立されました。高木家は江戸時代に蒲生郡を中心に活躍した大工集団で、京都の東寺五重塔や三重の専修寺如意堂など多くの社寺建築を手掛けました。
弘誓寺本堂
 本堂は間口5間、奥行5間、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、正面に3間の向拝があり、背面に後堂が付いています。外周3面にゆったりとした落縁や広縁を巡らしています。柱は全て丸柱を使い、高い天井のある外陣の柱間には紅梁形飛貫を縦横に架け、柱上に出組組物を置き、紅梁上にも中備に出組組物と蟇股を配しています。
弘誓寺本堂
 本堂の天井はすべて小組格天井をきれいに割り付けています。18世紀の典型的な大型真宗本堂で、京都の東本願寺阿弥陀堂のモデルにもなっています。弘誓寺本堂は昭和62年(1987)に国の重要文化財に指定されています。
弘誓寺本堂

弘誓寺表門
 弘誓寺の表門は入母屋造り、本瓦葺きの一間薬医門で、元禄5年(1692)に建てられています。棟札には八鳥村の上林武右衛門が棟梁で建立したと記されているそうです。ぼたんの籠彫・龍頭・獅子頭などの木鼻や、組物の間に詰めた彫刻は華麗で優美です。瓦には、那須与一に由来する扇の紋が残されています。国の登録有形文化財に指定されています。
弘誓寺表門

弘誓寺庫裏
 弘誓寺の庫裏は間口11間、奥行9間の木造2階建て、切妻造り、桟瓦葺きで、本堂の北側に建てられています。江戸中期の天保11年(1840)から嘉永元年(1848)の間に建立されたようです。庫裏の正面に建つ庫裏門は切妻造り、桟瓦葺きで、庫裏とともに国の登録有形文化財に指定されています。
弘誓寺庫裏

弘誓寺茶所
 弘誓寺の茶所(ちゃじょ)は木造2階建て、入母屋造り、桟瓦葺きで、本堂の前方に建てられています。内部は南端に土間を設け、その北側西寄りに棹縁(さおぶち)天井の広い板間があります。真宗寺院の茶所の形態を伝えていて、国の登録有形文化財に指定されています。
弘誓寺茶所

弘誓寺太鼓堂
 弘誓寺の太鼓堂は国の登録有形文化財に指定され、寺前・鯉通りに面しています。切妻造り、桟瓦葺きで、東西棟の入母屋造り、桟瓦葺きの2階をのせています。2階は各面とも中央に柱を立て、内部の中央に太鼓を吊っています。太鼓堂は、通りから見ると2層の櫓に見え、鯉の泳ぐ水路とともに金堂の町並み景観に貢献しています。
弘誓寺太鼓堂

弘誓寺鐘楼
 弘誓寺の鐘楼は間口1間、奥行1間、入母屋造り、本瓦葺きで、寛政12年(1800)に石積の基壇の上に再建されています。すべて欅材を使用し、四本柱を円柱にし、上下に粽(ちまき)をつけて頭貫台輪で固めています。組物を詰物にしてその中間位置に蟇股を置いています。鐘楼は国の登録有形文化財に指定されています。
弘誓寺鐘楼


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