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奈良の旅と歴史
滋賀の旅    東近江市

百済寺
ひゃくさいじ
滋賀県東近江市百済寺町323
Tel 0749-46-1036


 釈迦山百済寺は金剛輪寺、西明寺とともに湖東三山の一つです。そして、その中で最も古い天台宗のお寺です。推古天皇の頃、聖徳太子の勅願により、高句麗僧の恵慈(えじ)を導師に百済僧・道欣(どうきん)が創建したといわれています。堂塔は百済の龍雲寺を模して建てられたと伝えられています。
 百済寺は平安時代に入ると、天台宗に改宗、無動寺の末寺として最盛期を迎えました。その伽藍は壮大で「湖東の小叡山」といわれ、堂塔3百余坊を容し「天台別院」とも称されたそうです。しかし文永11年(1274)の火災、明応7年(1498)の失火で堂宇のすべてを焼失しました。
 文亀3年(1503)近江守護六角氏と被官伊庭貞隆の争いに巻き込まれ、天正元年(1573)には織田信長の焼き討ちで全山が灰燼に帰し寺宝も失いました。江戸時代、天海僧正の高弟亮算が尽力し、2代彦根藩主井伊直孝の援助で慶安3年(1650)に本堂、仁王門、山門などが再建されました。
 百済寺の様子は、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスの書簡に「多数の相互に独立した僧院、座敷と庭を備えた坊舎が立ち並び、まさに地上の天国」と記されています。百済寺本堂は国の重要文化財に指定され、境内は国指定史跡です。「日本紅葉百選」「近畿五大紅葉名所」にも選ばれています。

百済寺赤門
 百済寺の赤門は百済寺の山門です。参道の入口に建てられています。朱塗りのために赤門と呼ばれています。本堂と同時期の慶安3年(1650)に再建された門です。赤門を入った左側には天文法華の乱のときに出陣した百済寺僧兵の戦死者の供養碑があります。
百済寺赤門

下乗石
 下乗石は駕籠から降りるように促す指標です。小野道風が百済寺に参拝したときの直筆と伝えられています。
下乗石

本坊庭園
 百済寺一山の本坊は喜見院です。本坊の庭園は別名「天下遠望の名園」と称されています。東の山を借景にして、大きな池と変化に富む巨岩を配した豪華な池泉回遊式の庭園です。
本坊庭園

喜見院書院
 喜見院の書院は庭園に面して建てられています。平面は、仏間や書院の間などからなる2列6室の居室で、2方に広縁を取り、四方に濡縁を張っています。書院は国の登録有形文化財に指定されています。
喜見院書院

百済寺仁王門
 百済寺の仁王門は本堂と同時期の慶安3年(1650)に再建された門です。三間二間で一対の金剛力士像が向きあっています。大きな草履が掛けられていて、これに触れると、身体健康、無病長寿のご利益があるとされています。
百済寺仁王門

百済寺本堂(国重文)
 百済寺の本堂は亮算(りょうさん)が尽力し、2代彦根藩主井伊直孝の援助で慶安3年(1650)に再建されました。間口5間、奥行5間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物で、背面に庇があり、正面軒には唐破風が付いています。
百済寺本堂
 本堂は金剛輪寺や西明寺より一回り小ぶりです。外陣、内陣、後陣に3分割されていて天台形式の均整のとれた建物です。内陣の厨子には2mを超える秘仏本尊、十一面観音立像(平安時代)を安置しています。聖徳太子が根のついた立木に仏像を刻んだといわれています。本堂は平成16年(2004)に国の重要文化財に指定されました。
百済寺本堂

三所権現社
 三所権現社は本堂と同時期に建立された一間社流造の社殿です。本堂内陣で保存されていた懸仏及びこの社殿に祀られていた鏡板である御正体 (みしょうたい)より信長の焼き討ちの際に本尊を奥の院に避難し、その後仮堂を建 てて復興していった様子が明らかにな りました。三所権現社は東近江市の有形文化財に指定されています。
三所権現社

千年菩提樹
 本堂の左側に千年菩提樹と呼ばれる一本の菩提樹があります。天正元年(1573)の織田信長の焼討ちで幹まで焼損しましたが、周りから新芽が吹き出して、見事によみがえりました。中央部の空洞部(直径80cm)は焼討ち当時の幹の直径に相当しているそうです。
千年菩提樹


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