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奈良の旅と歴史
滋賀の旅    東近江市五個荘

近江商人屋敷
おうみしょうにんやしき
滋賀県東近江市五個荘金堂町



外村宇兵衛邸
とのむらうへいたく
滋賀県東近江市五個荘金堂町645
Tel 0748-48-5557
 
 五個荘金堂町にある五個荘商人の家は重要伝統的建造物群保存地区の中にあります。外村宇兵衛は、五個荘商人として活躍していた外村与左衛門浄秋(6代)の末子嘉久が、享和2年(1802)に分家して興したものです。
 文化10年(1813)に与左衛門との共同事業から独立して商いを始めました。努力の末に東京・横浜・京都・福井などに支店を有し呉服太物類の販売を中心に商圏を広げ、明治時代には全国の長者番付にも名を連ねたそうです。
 明治29年(1896)頃の最盛期には、2720平方mの敷地に主屋、書院、大蔵の他、蔵が十数棟立ち並んでいたそうです。庭も作庭当時神崎郡内(今は東近江市)一番の庭ともいわれたそうです。


外村繁邸
とのむらしげるてい
滋賀県東近江市五個荘金堂町631
Tel 0748-48-5676
 この家は湖国の生んだ作家外村繁の生家です。4代目外村宇兵衛の妹みわに婿養子吉太郎を迎えて分家したのが始まりです。外村繁は、この家の三男として生まれました。
 吉太郎は、宇兵衛本家の京都店に勤め、明治40年に独立しました。東京日本橋と高田馬場に木綿呉服問屋を開き活躍しました。外村繁は家業を継ぎ、商人となりましたが、後に文学への夢が捨てきれず弟に家業を託しました。
 外村繁は作家活動に専念し、「草筏」「筏」「花筏」など近江商人を題材にした小説や自らの人生を綴った数多くの作品を残しました。この屋敷の蔵は、外村繁文学館として、繁の資料を展示しています。


金堂陣屋跡
こんどうじんやあと
滋賀県東近江市五個荘金堂町
 貞享2年(1683)に本多忠平が大和郡山藩主として入封した時、近江国内で4万石の所領が与えられました。この内、蒲生・神埼・坂田三郡の所領を管理するため、金堂に陣屋が置かれました。
 陣屋には、代官、手代、書役などが常駐し、郡山藩主が交代で在番し、司法・行政を司っていました。「神崎郡志稿」に収録されている陣屋の古図では、長屋門と塀に囲まれて、役所・役宅と土蔵・牢屋・稲荷社があったことが判ります。


勝徳寺
しょうとくじ
滋賀県東近江市五個荘金堂町
 勝徳寺は永正12年(1515)開基の真宗大谷派のお寺です。表門は大和郡山藩陣屋から移築されています。門扉の釘かくしには柳沢家の家紋、四つ花菱が使われています。
 屋敷内には「川戸」(かわと)とよばれる水路があります。屋根があり洗い場にもなっています。防火用水も兼ね、観賞用の魚も飼えます。 


近江商人博物館
おうみしょうにんはくぶつかん
滋賀県東近江市五個荘竜田町583
Tel 0748-48-7101
 近江商人の軌跡を探究できる博物館です。映像やジオラマを通して、地域の歴史、湖東地域が生み出した近江商人の商法や家訓、その暮らしや文化、教育などさまざまな角度から、展示紹介しています。
 江戸時代、この湖東の地から、天秤棒を肩に、革新的な商法と不屈の精神、全国津々浦々に行商し、立身出世を夢見た近江商人たちがわかる場所です。


弘誓寺
ぐぜいじ
滋賀県東近江市五個荘金堂町615
Tel 0748-48-2747
 弘誓寺(ぐぜいじ)は浄土真宗大谷派の古刹です。古い町並みが続く金堂(こんどう)地区に、堂々と高くそびえ立っています。主要部は宝暦14年(1764)に建立されていて、国の重要文化財に指定されています。
  この寺を開基した愚咄坊(ぐとつぼう)は那須与一の嫡子で、本願寺三代の覚如上人の息子だということです。表門の瓦には那須与一に由来する扇の紋が入っています。


浄栄寺
じょうえいじ
滋賀県東近江市五個荘金堂町616
Tel 0748-48-4184
 浄栄寺は浄土宗のお寺です。聖徳太子が不動坊という僧とここを訪れ、大きな金堂を建てたので、この辺の地名が金堂となったといわれています。不動坊は不動明王の化身で不動院を建立したそうです。宝治元年(1247)浄栄法師がこの寺院を再興し、清光山不動院浄栄寺としたそうです。


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