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奈良の旅と歴史
滋賀の旅    長浜市湖北町

小谷城跡
おだにじょうせき
滋賀県長浜市湖北町伊部


 小谷城は、湖北町と長浜市にまたがる小谷山(495.1m)にあり、浅井(あざい)家が3代にわたって居城としていました。北陸路と中山道の要衝であり、戦略上、非常に重要な地でした。日本5大山城の一つに数えられ、国の指定史跡に指定されています。
 小谷城の築城は永正3年(1516)頃、初代浅井亮政(すけまさ)によって築かれたようです。城址の規模は極めて壮大で、地形を巧みに利用し、独特の工夫がされていました。山上には今もなお、城の石垣や土塁・曲輪等の遺構が残されており、当時の面影を残しています。
 3代目浅井長政は永禄4年(1561)織田信長の妹お市を娶りますが、信長の朝倉攻めで信長と敵対します。元亀元年(1570)の姉川の合戦で信長・家康の連合軍に敗れ、ここ小谷城に戻りました。
 天正元年(1573)、信長は3万の軍勢を率いて北近江への侵攻を開始しました。一方、浅井長政は居城の小谷城に5千人の軍勢とともに籠城しました。信長は一乗谷城の戦いで朝倉氏を滅ぼし、浅井攻めに戻りました。
 小谷城落城寸前、秀吉からお市の方と3人の娘の助命を条件に降伏を勧められましたが、長政はこれを拒否しました。しかし、お市の方と3人の娘は織田軍へ引渡し、袖曲輪の赤尾屋敷内で自害して果てました。ここに北近江の戦国大名浅井氏は滅び去ったのです。
 3人の娘、茶々は秀吉の側室になり、淀君として大阪城とともに果てました。お初は京極高次に嫁ぎ、小督は2代将軍徳川秀忠夫人になりました。


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