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奈良の旅と歴史
滋賀の旅    湖南市

善水寺
ぜんすいじ
滋賀県湖南市岩根3518
Tel 0748-72-3730



 岩根山善水寺は標高406mの岩根山の中腹にある天台宗のお寺です。岩根山には、かつて12の天台の修行場の僧坊があり、隣の菩提寺山には織田信長の焼き討ちまでは、36坊を有する小菩提寺があったそうです。また阿星山を中心とした阿星山三千坊と岩根山の寺々は、良弁僧都と深く結びついていたようです。
 善水寺は阿星山近くにある長寿寺、常楽寺と共に「湖南三山」と呼ばれています。南北朝時代に再建された本堂は国宝に指定されています。寺宝が多く、本尊の木造薬師如来坐像をはじめ、金銅誕生釈迦仏立像、木造不動明王坐像など15体の仏像が国の重要文化財に指定されています。
 善水寺は奈良時代の中期、和銅年間(708-714)に元明天皇の勅願により、国家鎮護の道場として建立され、和銅寺と称したようです。延暦年間(782-806)に最澄上人が入山し、天台宗に改め延暦寺の別院とし、諸堂を建立しました。
 桓武天皇が病気にかかった時、最澄上人が密教の厄難消除祈願の薬師法を行い、霊水を献上したところ、たちどころに平癒したそうです。これにより「岩根山医王院」の号を賜り、寺名を善水寺に改めたといわれています。
 元亀2年(1571)、織田信長の比叡山焼き討ちの兵火が善水寺にまで及び多くの堂宇が焼失しましたが、本堂など4棟は火災を免れ、仏像の多くも退避させたことで今に残されました。明治32年(1899)、昭和22年(1947)、昭和49年・50年(1974-1975)に屋根の葺替工事やその他補修が行われています。


善水寺本堂(国宝)
 善水寺の本堂は南北朝時代の延文5年(1360)に焼失しましたが、貞治3年(1364)院主延海阿闍梨が再建しました。現在の巨大な本堂はこの時に再建された建物で、明治32年(1899)に国宝に指定されています。間口7間、奥行5間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きです。
善水寺本堂
 本堂の中は外陣と、内陣に分かれていて、その境を菱格子で仕切っています。内陣は小組格天井で、中央の須弥壇上に入母屋造り、こけら葺きの1間厨子を置いています。厨子の中には本尊の木造薬師如来坐像を安置し、厨子外の左右には脇侍の梵天・帝釈天の2木像を置いています。
善水寺本堂

元三大師堂
 良源僧都は正月三日に亡くなったので元三大師と呼ばれ、比叡山横川中堂にも元三大師堂があります。良源僧都の住房跡で、江戸時代の正徳3年(1713)に再建された建物で、元三慈恵大師良源大僧正の等身大尊像を本尊として安置しています。
元三大師堂

霊水場
 桓武天皇の病気平癒を祈祷し、この霊水を天皇に献上したところ、病気がたちどころに平癒したと伝わる霊水場があります。最澄は夢の御告げで「百伝の池」に辿り着き、池の中から薬師如来の金像を発見したそうです。最澄はこの池の水を霊水と悟り桓武天皇にこの霊水を献上したのでした。
霊水場


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