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奈良の旅と歴史
滋賀の旅    湖南市

常楽寺
じょうらくじ
滋賀県湖南市西寺6ー5ー1
Tel 0748-77-3089


 阿星山(あぼしさん)常楽寺はJR石部駅の南東約3kmにある天台宗のお寺です。長寿寺、善水寺と共に「湖南三山」と呼ばれています。長寿寺が「東寺(ひがしでら)」に対して、常楽寺は「西寺(にしでら)」と呼ばれており、近江西国三十三箇所観音霊場第一番札所になっています。
 常楽寺の創建ははっきりしませんが、聖武天皇の勅願で良弁(ろうべん)によって開かれたといわれています。良弁が愛用したと伝えられる錫杖(しゃくじょう)が、国の重要文化財に指定されています。
 標高693mの阿星山(あぼしやま)という山が近くにあり、天平・奈良時代に、この山を中心に「阿星山三千坊」と呼ばれる寺が建ち並び、巨大な宗教圏を作っていたようです。聖武天皇は、この山の南東に紫香楽宮を造りました。常楽寺は長寿寺とともに紫香楽宮の鬼門鎮護とされていました。
 平安から鎌倉時代にかけては、皇室・武門の帰依をうけて寺運は隆盛しました。延文5年(1360)に火災で焼け落ちましたが、その年に観慶らによって再興されました。南北朝時代に再建された本堂と、室町時代に建てられた三重塔はともに国宝に指定されています。本堂前の石燈籠は国の重要文化財に指定されています。
 仏涅槃図(ほとけねはんず)や源信(げんしん)が描いたといわれる浄土曼荼羅図(じょうどまんだらず)、木造釈迦如来坐像、木造千手観音坐像、木造二十八部衆立像などの他、金銅飲食器、銅飲食器、金銅火舎など国の重要文化財に指定されている寺宝を数多く所有しています。


常楽寺本堂(国宝)
 常楽寺の本堂は延文5年(1360)に火災で焼失し、観慶らによって同じ年に再建された建物です。間口7間、奥行6間、向拝3間が付き、入母屋造り、檜皮葺きです。正面の柱間中央5間に格子造りの蔀戸(しとみど)をはめ、その左右は連子窓(れんじまど)とし、側面には棧唐戸(さんがらと)を用いています。天井は格天井です。
常楽寺本堂
 堂内は外陣と内陣に分かれ、内陣の須弥壇上に寄棟造り、板葺きの厨子が安置されています。厨子の中に平安時代に造られた木造千手観音坐像が安置されています。厨子の両側には徳治年間(1306-1308)から正和年間(1312-1317)に造られた二十八部衆の立像が並んでいます。本堂は昭和28年(1953)に国宝に指定されています。
常楽寺本堂

常楽寺三重塔(国宝)
 常楽寺の三重塔は本堂の左手後方、一段高い山腹に建てられています。室町時代に建てられた貴重な建物として常楽寺の本堂と同じく昭和28年(1953)に国宝に指定されています。本瓦葺きの三間四方三重塔婆で、高さは77.88尺(約22.8m)あります。瓦に応永7年(1400)の紀年銘が残されていて、この年に建立されました。
常楽寺三重塔

常楽寺石燈籠(国重文)
 常楽寺の本堂の前に立つ石燈籠は花崗岩で造られていて、高さが2.6mあります。竿に「応永十三年(1406)丙戌・・・」と彫られた造立銘があります。この石燈籠は国の重要文化財に指定されています。
常楽寺石燈籠

常楽寺薬師堂
 薬師如来は盗難に合い薬師堂は空でした。もともとあった十二神将も、本堂下陣に移動しています。常楽寺は無住であるため、仏像が盗難に逢っています。今は住職が一人で管理しているらしいのですが、本堂内部に書かれたたくさんのきたない禁止条項の看板は訪ねた人を不快にさせます。
常楽寺薬師堂


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