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奈良の旅と歴史
滋賀の旅    長浜市

姉川古戦場
あねがわこせんじょう
滋賀県長浜市野村町


 姉川の野村橋(のむらばし)付近一帯は、戦国時代の元亀元年(1570)に織田・徳川軍と浅井・朝倉軍が壮絶な戦いをした場所です。
 小谷城主の浅井長政は、織田信長の妹お市の方を嫁にし、織田家と同盟を結んでいました。しかし親交のあった越前の朝倉氏を、信長が攻めたことにより長政は信長を攻撃し「金ヶ崎退き口」と呼ばれる配下たちの決死の退却戦によって信長は何とか逃げることができました。
 信長は、この報復戦のために軍備を整え北近江へ出陣、姉川河原で徳川家康と合流し2万8千の軍勢が、浅井・朝倉同盟軍1万8千の兵と姉川を挟んで戦いました。
 織田・徳川軍が浅井・朝倉軍を破り、浅井長政は小谷城へ敗走しました。この戦いによる戦死者は両軍で2千5百人で、姉川は血で真っ赤に染まったといわれています。血原(ちはら)、血川橋(ちかわばし)という地名が、当時の惨状を伝えています。


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