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奈良の旅と歴史
滋賀の旅    長浜市

宝厳寺
ほうごんじ
滋賀県長浜市早崎町1664
Tel 0749-63-4410


 巌金山(がんこんさん)宝厳寺(ほうごんじ)は、琵琶湖中の竹生島(ちくぶしま)にある真言宗豊山派(ぶざんは)のお寺です。神亀元年(724)、聖武天皇が夢枕に立った天照大神のお告げを受け、僧行基に開基させました。
 西国三十三箇所観音霊場の第30番札所で、観音霊場です。観音堂本尊は千手観音です。宝厳寺の本尊は弁才天で本堂は弁才天堂とも呼ばれています。弁才天信仰の聖地で、厳島神社、江の島神社とともに日本三大弁才天の1つにも数え上げられています。
 竹生島は神仏習合でした。宝厳寺は竹生島大神宮寺というお寺で、東大寺の支配下にありました。平安時代前期、10世紀頃から近江国の他の多くの寺院同様、比叡山延暦寺の傘下に入り、天台宗門下に入りました。竹生島は天台宗の僧の修行の場となり、平安時代末期頃からは観音と弁才天信仰の島として栄えました。
 宝厳寺は貞永元年(1232)、享徳3年(1454)、永禄元年(1558)に大火に遭い、興廃を繰り返しました。慶長年間(1596-1615)に、豊臣秀頼が秀吉の遺命により、片桐且元を普請奉行とし伽藍を復興させ、ほぼ現在の寺観になりました。
 明治時代になり、政府は神仏分離令を出し、宝厳寺を廃寺にし、都久夫須麻神社とするよう命じました。宝厳寺は弁才天は仏教の仏であると主張し、本殿を都久夫須麻神社にすることで廃寺を免れました。お寺と神社の両方が並存することとなったのです。
 明治7年(1874)、都久夫須麻神社と宝厳寺の境界が決められ、明治16年(1883)に両者の財産が区別され、今日に至っています。昭和17年(1942)、宝厳寺の現在の本堂が完成し、約70年間、仮安置されていた本尊の大弁財天がやっと安置されました。境内には国重文の観音堂、国宝の唐門、国重文の渡廊、国重文の石造五重塔など多くの諸堂が点在しています。竹生島も昭和5年(1930)に国の名勝に指定されています。


宝厳寺唐門(国宝)
 宝厳寺の唐門は観音堂の玄関にあたります。一間一戸向唐門、檜皮(ひわだ)葺きで、慶長8年(1603)に建てられた門です。大阪城の極楽橋に附属していた極楽門だったもので、京都の東山にあった豊臣秀吉の霊廟の豊国廟の極楽門になっていました。それをここに移築したものといわれています。
宝厳寺唐門
 唐門は極彩色の彫刻と飾金具で飾った華麗な門で、桃山時代の雰囲気を伝えています。唐破風の中央には大きくて精彩な蟇股彫刻が彫り込まれています。蟇股の正面には牡丹があり、裏には桐は彫られています。柱頭には精巧な木鼻彫刻を付けています。明治34年(1901)に国宝に指定されています。
宝厳寺唐門

宝厳寺観音堂(国重文)
 宝厳寺の観音堂は三十三箇所観音霊場の第30番の札所で多くの人が訪れています。間口5間、奥行4間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きで、唐門と一体の建物となっています。明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。
宝厳寺観音堂
 本尊の秘仏千手観音立像(鎌倉時代)を安置しています。傾斜地に建っており、床下に長い柱を立てて支える懸造(かけづくり)となっています。天井裏は昔の絵天井の名残が残っています。観音堂は渡廊、唐門とともに、豊臣秀頼が片桐且元を奉行として移築したものです。
宝厳寺観音堂

宝厳寺渡廊(国重文)
 宝厳寺の渡廊は、観音堂東側面の後端の間から国宝の都久夫須麻神社本殿西側面をつなぐ廊下です。豊臣秀吉の御座船の用材を用いて建てたといわれ「船廊下」とも呼ばれています。
宝厳寺渡廊
 梁間1間(約2.7m)、桁行10間(約25m)で、棟の高さは観音堂側の桁行8間(約20.1m)が低く、神社本殿側の桁行2間(約4.9m)が高くなっています。切妻造り、桧皮(ひわだ)葺きです。明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。
宝厳寺渡廊

宝厳寺五重塔(国重文)
 本堂(弁才天堂)の前に宝厳寺の五重塔があります。鎌倉時代の後期に造られた石造五重塔です。初層には4面に仏を配し各屋根には反りを持たせた鎌倉時代の特徴が見られます。昭和29年(1954)に国の重要文化財に指定されています。
宝厳寺五重塔

宝厳寺本堂
 宝厳寺の本堂は弁才天堂ともいわれ、船着き場からの石段を真っ直ぐに上りきった高台に堂々と建っています。寺内最大の建物で本尊の弁才天像を祀っています。江ノ島、宮島と並ぶ「日本三弁財天」の一つとされ、その中でも最も古い弁財天です。前の本堂が都久夫須麻神社となったため、昭和17年(1942)に平安時代様式で建てられ、約70年ぶりに仮安置の弁才天が安置されました。
宝厳寺本堂

宝厳寺宝物殿
 宝厳寺の宝物殿は宝厳寺に伝わる数々の寺宝を収蔵、保存、一般公開しています。法華経序品は竹生島経と呼ばれ国宝に指定されています。縦26.1cm、横99.9cm、金罫をひき、金銀の花鳥を大きく描いた料紙に、1行17字、28行にわたって書かれています。他に国重文の弘法大師直筆「御請来目録表」をはじめ、数々の貴重な宝物が収められています。
宝厳寺宝物殿

宝厳寺三重塔
 弁才天堂の向かいに建つ三重塔は平成12年(2000)に再興されました。文明19年(1487)、阿部権守という棟梁が三重塔を建てました。江戸時代初期、この塔は落雷にて焼失してしまいました。平成7年(1995)、三重塔の図面が発見され、それに基づいて再建された塔です。
宝厳寺三重塔

宝厳寺もちの木
 宝厳寺のもちの木は、慶長8年(1603)、豊臣秀頼の命を受けた、普請奉行の片桐且元が観音堂、唐門、渡廊下を移築した時、記念に植えたものです。片桐且元は賎ヶ岳合戦の七本槍の一人として有名です。秀頼の後見役に命ぜられ、秀吉のもとで検地・作業奉行として活躍しました。
もちの木

宝厳寺瑞祥水
 宝厳寺の瑞祥水(ずいしょうすい)は平成14年(2002)に掘られた霊泉です。本尊弁才天のお告げで掘られました。約1年かけ掘りすすめ、深さ230m(湖底下約 130m)で水が湧き出たそうです。
宝厳寺瑞祥水


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