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奈良の旅と歴史
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石田三成出生屋敷跡
いしだみつなりしゅっしょうやしきあと
滋賀県長浜市石田町


 石田三成は永禄3年(1560)、石田正継の次男としてここ近江国坂田郡石田村で生まれました。石田村は古くは石田郷といって石田氏は郷名を苗字とした土豪であったようです。
 秀吉が鷹狩の途中でこの近くの観音寺に立ち寄った時、「三献の茶」で寺小姓の三成が召し抱えられることになったそうです。初めはぬるいお茶をたっぷり入れて出し、2杯目を所望されると少し熱いお茶を初めの半分だけ入れて差し出しました。3杯目は熱いお茶を小さな茶碗で出し、火傷するのを防いだということです。
 「才器でわれに異ならないものは三成のみ」と秀吉が言ったように、実務官僚としての能力にすぐれ、兵站(へいたん)の掌握や民政の実施、服属大名との折衝に辣腕を振いました。
 豊臣政権の五奉行の一人となりました。慶長5年(1600)天下を二分した関ヶ原の戦いで徳川家康と戦いました。小早川秀秋らの寝返りによって敗れ、捕縛されて京都六条河原で処刑されました。
 昭和16年(1941)に隣接の八幡神社の地中より故意に破壊された多数の五輪塔の残欠が発掘されました。墓石の残欠は石田三成と関係あるもので、里人が徳川方の追及を逃れる為に神社を隠れ蓑に密かに埋め隠したものと思われます。昭和48年(1973)墓石を安置し新たに石田三成及び一族家臣の供養塔を建立しました。


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