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長浜城跡(長浜城歴史博物館)
ながはまじょうせき(ながはまじょうれきしはくぶつかん)
滋賀県長浜市公園町10−10
Tel 0749-63-4611


 現在の長浜城は、昭和58年(1983)に犬山城や伏見城をモデルにコンクールで模擬復元されたもので市立長浜城歴史博物館として開館しています。
 羽柴(豊臣)秀吉は天正元年(1573)9月浅井長政滅亡後、琵琶湖北を支配しました。姉川合戦と小谷攻めの功績により浅井氏の領国の大部分を与えられました。
 そして天正2年(1574)夏には、今浜に築城しはじめました。材木は竹生島などから運び、石材は領内から集められました。石仏や五輪塔などの墓石まで使用されそうです。
 天正3年(1575)秋頃に秀吉は小谷城から今浜城に移り、地名を信長の名から一字拝領し長浜に改めました。
 本能寺の変後、天正10年(1582)、清洲会議で長浜城は柴田勝家に譲られ勝家の甥、勝豊が入城しました。その年の11月、秀吉は勝豊を攻めて落城させました。そして翌年の柴田勝家との賤ヶ岳合戦の軍事拠点になっています。
 そして柴田勝家に大勝し、織田信長後継者としての立場を確立しました。賤ヶ岳の戦い後は、山内一豊が6年間、城主となりました。
 江戸時代になって、慶長11年(1606)には徳川家康の家臣である内藤信成が入城しました。その子信正が元和元年(1615)摂津高槻に移るに至って廃城となりました。
 建物及び石垣の大半は、彦根城の築城に際して移されたそうです。彦根城の天秤櫓てんびんやぐら(国・重文)や三重の隅櫓すみやぐらは当城の遺構とといわれています。
 長浜市内にある大通寺の台所門は長浜城の大手門を移したものと伝えられています。同じく市内にある知善院の表門は、長浜城の搦手門を移したものと伝えられています。


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