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奈良の旅と歴史
滋賀の旅    長浜市

都久夫須麻神社
つくぶすまじんじゃ
滋賀県長浜市早崎町1821
Tel 0749-72-207


 都久夫須麻神社は竹生島の古名ともいわれ、浅井姫命(あざいひめのみこと)を祀っています。浅井姫命は、浅井氏の氏神ともいわれ、湖水を支配する神ともいわれますが、平安時代末期頃から、この神は仏教の弁才天(元来はインド起源の河神)と同一視されるようになったようです。
 竹生島は神仏習合で、宝厳寺は竹生島大神宮寺というお寺でした。観音と弁才天の霊場として栄える一方で、都久夫須麻神社は宝厳寺と一体化し、寺と神社の区別はなかったようです。都久夫須麻神社本殿は宝厳寺の本殿だった建物で国宝に指定されています。
 都久夫須麻神社と宝厳寺とは豊臣秀吉の御座船「日本丸」の船櫓を利用して造られた重要文化財の舟廊下でつながっています。
 明治時代になり、明治新政府は神仏分離令を出しました。これに基づき大津県庁は宝厳寺を廃寺にして神社とし、延喜式神名帳に見える「都久夫須麻神社」と称するよう命じました。宝厳寺は弁才天は仏教の仏であると主張し、本殿を都久夫須麻神社にすることで廃寺を免れました。寺院と神社の両方が並存することとなったのです。
 明治7年(1874)に都久夫須麻神社と宝厳寺の境界が決められ、明治16年(1883)に両者の財産が区別され、今日に至っています。

都久夫須麻神社本殿(国宝)
 都久夫須麻神社の本殿は間口3間、奥行3間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きで、軒唐破風があり、正面に1間の向拝が付いています。桃山建築を代表するものとして昭和28年(1953)に国宝に指定されています。
都久夫須麻神社本殿
 この本殿は宝厳寺の本殿でした。神仏分離令のため都久夫須麻神社の本殿となりました。豊臣秀吉が時の天皇を迎えるために造ったといわれている伏見城の遺構で日暮御殿とよばれる建物を移築したものです。極彩色の彫刻や狩野永徳、光信が描いたといわれる襖絵や天井画などで飾られています。
都久夫須麻神社本殿


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