あなたは 番目の訪問者です。(ogino作成共通カウント)
直線上に配置
奈良の旅と歴史
滋賀の旅    大津市

日吉大社
ひよしたいしゃ・ひえたいしゃ
滋賀県大津市坂本5丁目1ー1
Tel 077-578-0009


 日吉大社は、全国に3千社近くある山王さんの総本宮です。比叡山の東、牛尾山の麓にあり、山王権現とも呼ばれています。牛尾山は、日枝山の神である大山咋神(おおやまくいのかみ)が降り立つ聖なる山として祀られていました。麓の里宮が東本宮として発展していきました。
 天智天皇6年(667)、都が大津に遷都された時、勅命により翌年に大和三輪山の大己貴命(おおなむちのかみ)が勧請され西本宮が創建されました。日吉大社の中核である東本宮と西本宮の本殿は、それぞれ国宝に指定されています。
 京都の鬼門鎮護の鎮守社として朝廷から崇敬庇護され、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に名神大社に列しています。延暦7年(788)、比叡山延暦寺を開いた最澄は日吉の神々を一山の鎮守としました。全国に広がった天台宗の鎮守社として分霊が勧請され繁栄しました。
 天皇家の尊崇も厚く、延久3年(1071)に後三条天皇が行幸され、白河、鳥羽、近衛、土御門、後醍醐など各天皇が参拝に訪れています。
 元亀2年(1571)延暦寺との不即不離の関係が災いとなりました。延暦寺が浅井・朝倉連合軍に味方したため、織田信長の攻撃を受けました。その攻撃は熾烈極まり、僧兵だけでなく、避難民まで皆殺しにされたと伝えられています。日吉大社の多くの建物は灰燼に帰しました。
 その後、天下を取った豊臣秀吉により社殿の再建がなされ、日吉三橋と呼ばれる大宮橋、走井橋、二宮橋などが寄進されています。江戸時代には徳川家康や天台宗の天海大僧正が境内の整備に尽力し、日光東照宮に先駆けて東照宮が造営されています。
 明治時代初頭の神仏分離令により比叡山延暦寺との長い歴史を断ち、神社として独立しました。境内一帯は国指定史跡に指定され、東西本宮拝殿 東西本宮楼門、宇佐宮本殿・拝殿、樹下神社本殿・拝殿、白山姫神社本殿・拝殿、牛尾神社本殿・拝殿、三宮神社本殿・拝殿、日吉三橋、吉山王金銅装神輿などが国の重要文化財に指定されています。


日吉大社東本宮楼門(国重文)
 日吉大社の東本宮楼門は東本宮の正面入口に建てられています。この奥には樹下神社や東本宮の社殿が建ち並んでいます。三間一戸楼門形式で、入母屋造り、檜皮葺(ひわだぶき)、縁付きの建物です。文禄2年(1593)に再建されたといわれています。大正12年(1923)に国の重要文化財に指定されています。
日吉大社東本宮楼門
 正面の柱間三つの内、中央が扉のない出入口となっていいます。軒廻り、腰組の組物は、格式の高い上下層とも三手先(みてさき)となっています。一階部分が高く、二階部分が低いため、すらりとした均整のとれた楼門となっています。
日吉大社東本宮楼門

日吉大社摂社樹下神社拝殿(国重文)
 楼門を入ると右手に日吉大社の摂社である樹下神社の拝殿が建てられています。間口3間、奥行3間の三間社流造りで、単層、入母屋造り、妻入り、檜皮(ひわだ)葺きの建物です。正面1間が前室になっていて、床の高さなど東西本宮本殿と同様に日吉(ひえ)造り特有の形式です。境内社の中では比較的豪華な造りになっています。
樹下神社拝殿
 屋根の妻飾りは木連格子(きつれこうし)、天井は小組格天井(こぐみこうてんじょう)、回縁(まわりえん)は高欄付きとなっています。文禄4年(1595)に再建されたもので、昭和39年(1964)に国の重要文化財に指定されています。樹下神社の拝殿と本殿は向かいあっていて、東本宮の拝殿と本殿を結ぶ線とクロスしている極めて珍しい形態になっています。
樹下神社拝殿

日吉大社摂社樹下神社本殿(国重文)
 日吉大社の摂社である樹下神社の本殿は楼門の先の左手にあります。鴨玉依姫(かもたまよりひめ)を祀っています。拝殿と同様に文禄4年(1595)に再建されたことが墨書銘によってはっきりしています。間口3間、奥行2間の三間社流造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物で、1間向拝が付き、正面1間が前室となっています。
樹下神社本殿
 数ある流造りの中でも比較的大型のもので、床が高いことから、日吉大社の他の本殿と同様に床下に下殿が設けられている日吉造りになっています。細部の様式も同時代の特色をよく示し、格子(こうし)や破風(はふ)、懸魚(げぎょ)などに打った飾り金具は豪華なものです。明治39年(1906)に国の重要文化財に指定されています。
樹下神社本殿

日吉大社東本宮拝殿(国重文)
 日吉大社の東本宮拝殿は樹下神社の拝殿の奥に建てられています。間口3間、奥行3間、入母屋造り、妻入、単層、檜皮(ひわだ)葺きです。外壁はなく、四方の柱間は吹き放しで、屋根の妻飾には木連格子(縦横の細かい格子)を入れています。天井は小組格天井で床外側には高欄が廻っています。
日吉大社東本宮拝殿
 東本宮拝殿は本殿建立の翌年の文禄5年(1596)に再建されています。「文禄五年三月吉」の墨書が天井の格縁に残されていました。桃山時代に建てられた神社建築の遺構として大変貴重で、昭和39年(1964)に国の重要文化財に指定されました。
日吉大社東本宮拝殿

日吉大社東本宮本殿(国宝)
 日吉大社東本宮本殿は織田信長による焼き討ちにあい焼失し、豊臣秀吉により文禄4年(1595)に西本宮本殿に引き続いて再建されました。昭和36年(1961)に国宝に指定されています。指定名は昔の読み方である「ひえたいしゃ」となっています。間口5間、奥行3間、日吉(ひえ)造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物です。
日吉大社東本宮本殿
 日吉造りは、一名を聖帝(しょうたい)造りといい、3間・2間の身舎(もや)の前面、両側面に三方の廂(ひさし)がめぐらされた形をし、側面、背面が特徴のあるものとなっています。この様式は、全国でも日吉大社のみ現存している形で重要なものです。
日吉大社東本宮本殿
 東本宮本殿は、西本宮本殿とほぼ同様の造りですが、背面の3間の床が一段高くなっている点が異なっています。
日吉大社東本宮本殿

亀井霊水
 東本宮本殿の左、新物忌社と樹下若宮社の間に亀井霊水があります。石柵内に六角形の井戸枠があり水を湛えています。昔、ここには池があり、伝教大師(最澄)参拝の折、霊亀が現れたそうです。占いにより、ここを閼伽井(あかい)(仏様に捧げる水を汲む井戸)として「亀井」 と名付けられたそうです。
亀井霊水

大物忌神社
 日吉大社摂社の大物忌(おおものいみ)神社は東本宮本殿の左奥に、南面して建っています。三間社流造り 庇前室 向拝一間が付き、桧皮葺きです。日吉中7社の1社で明治以前は大行事社と称していたそうです。祭神は大山咋神の父神とされる大年神で豊作、穀物守護の神とされます。 元和5年(1619)に再建された建物で大津市の指定文化財です。 
大物忌神社

稲荷社
 日吉大社末社の稲荷社は東本宮本殿の背後に鎮座しています。祭神は穀神・食物を司る宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)です。稲荷の神様が降臨された2月最初のの午(うま)の日に五穀豊穣、商売繁盛を祈る「初午祭」が行われるそうです。
稲荷社

内御子社
 日吉大社末社の内御子社は樹下神社の拝殿の右側に鎮座しています。祭神の猿田彦神は道案内の神で、境界にあって邪神の侵入を遮る塞の神・道祖神でもあります。
内御子社

日吉めなぎ
 日吉めなぎ(雌梛)は、内御子社の横にあります。男性が女性の幸せを祈る木です。近くに女性が男性の幸せを祈る「雄梛(おなぎ)」もあります。梛(なぎ)は 「薙ぎ払う」 に通じ火災除けを意味しています。
日吉めなぎ

日吉おなぎ
 日吉おなぎ(雄梛)は女性が男性の幸せを祈る木です。梛(なぎ)は「凪ぐ」「和(なご)む」にも通じ夫婦和合を象徴しています。境内では家内安全・夫婦和合・縁結びの「梛の葉守り」を売っています。男性には女梛の葉を、女性には男梛の葉を持ってもらい、お互いの真心を交換し示し合う証として評判が良いそうです。
日吉おなぎ

多羅葉の木
 東本宮には多羅葉(たらよう)の木があります。「はがきの木」または「郵便局の木」と呼ばれる木です。多羅葉の葉の裏側に尖ったもので傷をつけると、その部分が黒く残り文字が書けます。この「葉」に「書」くことから「はかぎ(葉書)」となったそうです。
多羅葉の木

三宮神社遥拝所
 牛尾山(八王子山)への登り口の階段の左側に日吉大社の摂社である三宮神社の遥拝所があります。大山咋神(おおやまくいのかみ)の妃神である鴨玉依姫神(かもたまよりひめのかみ)の荒魂(あらたま)を祀っています。安産、子育て、健康長寿に効能があるそうです。
三宮神社遥拝所

牛尾神社遥拝所
 三宮神社の遥拝所の右側に日吉大社の摂社である牛尾神社の遥拝所があります。比叡山の地主神の大山咋神(おおやまくいのかみ)の荒魂(あらたま)を祀っています。人間生活の守護神であることから、山林守護、治水・土木、家内安全に効能があるそうです。
牛尾神社遥拝所

日吉大社摂社三宮神社拝殿本殿(国重文)
 牛尾山(八王子山)頂から約40mぐらい下の崖に牛尾神社と三宮神社の懸(かけ)造りの社殿が建っています。この建物が舞台造りの元になっているそうです。向かって左が日吉大社摂社の三宮神社で祭神は鴨玉依姫神荒魂です。三宮神社の拝殿は間口4間、奥行5間、単層、入母屋造りの懸造り、檜皮葺きです。妻面が正面ですが、内側に軒唐破風を付けて入口としています。
三宮神社本殿及び拝殿
 三宮神社の本殿は三間社流造り、檜皮葺です。懸造りの拝殿が本殿の正面縁を取り込むようにして建てられています。慶長4年(1599)に建てられたもので、桃山(ももやま)時代の特色をよくあらわしています。明治40年(1907)に国の重要文化財に指定されています。
三宮神社本殿及び拝殿

日吉大社摂社牛尾神社拝殿本殿(国重文)
 日吉大社の摂社である牛尾神社の拝殿は、三宮神社の右側に建てられています。間口3間、奥行5間、単層、入母屋造り、懸造り、檜皮葺きです。拝殿が後部にある本殿正面縁を取り込むような形になっていて、崖上に建てられています。拝殿の入母屋造りの妻(つま)を正面としていますが、入り口は左側に設けられ、軒唐破風(のきからはふ)がつけられています。
牛尾神社本殿及び拝殿
 牛尾神社の本殿と拝殿は、文禄4年(1595)年に豊臣秀吉によって再建された建物で、桃山時代の特色をよくあらわしています。明治40年(1907)に三宮神社の本殿と拝殿とともに、国の重要文化財に指定されています。祭神は大山咋神荒魂です。山王祭は、大山咋神と鴨玉依姫命がお子を産む様子を神事がなぞらえているといわれています。
牛尾神社本殿及び拝殿

八王子山
 牛尾山は八王子山とも呼ばれ、381mの山頂には八王子山と刻まれた石碑が建てられています。日吉大社の奥宮とされ山頂より少し下に金厳石と呼ばれる磐坐の他、牛尾神社と三宮神社が鎮座しています。
八王子山山頂

神輿収蔵庫
 東本宮と西本宮を結ぶ参道の途中に神輿収蔵庫があります。平安時代に造られた神輿は元亀の乱で焼失し、現存のものは桃山時代に造られたもので、7基の神輿が収蔵されています。これらのすべてが国の重要文化財に指定されていて、ガラス越しに見ることができます。
神輿収蔵庫

山王神輿
 全国の神輿のルーツが日吉大社にある山王神輿です。平安時代、桓武天皇が日吉大社に寄進したところから始まったといわれています。比叡山の山法師(僧兵)たちは、この神輿を担いで、神輿振りといわれる上洛強訴を繰りかえしたそうです。
山王神輿
 寛治6年(1092)、日吉大社の神人(じにん)が院の近臣に乱暴されたとして、その処分を求めて都に担ぎ込まれたのが神輿振りの始まりだったそうです。西本宮、東本宮、八王子宮、三ノ宮、宇佐宮、白山宮、樹下宮の500貫(2トン)もある大きな神輿が1200年以上の歴史がある山王祭を待っています。
山王神輿

日吉大社西本宮楼門(国重文)
 日吉大社西本宮の正門にあた西本宮楼門は元亀2年(1571)に織田信長による比叡山焼き討ちの兵火で焼失しました。現在の楼門は天正14年(1586)頃に豊臣秀吉によって再建された建物です。東本宮楼門と同様、三間一戸、8脚楼門形式、2重垂木、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物です。東本宮の楼門よりも、規模は大きく、壮麗です。
西本宮楼門
 西本宮楼門の下層の正背面中央間には極彩色の雲や菊を彫刻した蟇股があり、上層四隅には日吉大社の神のお使いとされる神猿(まさる)の彫刻があります。四方魔除けの猿、棟持ち猿と呼ばれるものです。四方の魔を拭い去ることで棟木が上がり繁栄するそうです。西本宮楼門は大正6年(1917)に国の重要文化財に指定されています。
西本宮楼門

日吉大社摂社宇佐宮拝殿(国重文)
 日吉大社の摂社である宇佐宮の拝殿は慶長3年(1598)に建立されています。間口3間、奥行3間、入母屋造り、妻入り、単層、檜皮(ひわだ)葺きの建物です。典型的な方三間の拝殿形式になっています。祭神は田心姫大神(たごりひめのかみ)で、天武天皇3年(675)に宇佐八幡宮から勧請したと伝えられています。
宇佐宮拝殿
 拝殿の四方の柱間は、四方とも開け放し(吹放し)で、回り縁には高欄がつき、天井は小組格天井、屋根の妻飾りは木連(きつれ)格子(狐格子)で、白山姫神社拝殿と同じです。昭和39年(1964)に国の重要文化財に指定されています。
宇佐宮拝殿

日吉大社摂社宇佐宮本殿(国重文)
 日吉大社の摂社である宇佐宮の本殿は拝殿や白山姫神社の本殿・拝殿と同じく慶長3年(1598)に建てられています。間口5間、奥行3間、単層、日吉(ひえ)造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物です。西本宮本殿、東本宮本殿と同じく日吉(ひえ)造り(聖帝造り)の典型です。
宇佐宮本殿
 3間・2間の身舎(もや)の前面、両側面に1間の廂(ひさし)をめぐらしています。正面の階段前に吹寄(ふきよせ)格子をいれた障壁が設けてあるのが宇佐宮の本殿の特色です。高い床下には大きな岩が露出しています。宇佐宮の本殿は明治34年(1901)に国の重要文化財に指定されています。
宇佐宮本殿

日吉大社摂社白山姫神社拝殿(国重文)
 日吉大社にある摂社の白山姫(しらやまひめ)神社拝殿は慶長3年(1598)に建立されています。間口3間、奥行3間、入母屋造り、妻入り、単層、檜皮(ひわだ)葺きの建物です。外壁はなく4方吹き放しで、回り縁には高欄が付き、天井は小組格天井、屋根の妻飾りは木連(きつれ)格子(狐格子)となっています。
白山姫神社拝殿
 白山姫神社の祭神は、菊理姫神(くくりひめのかみ)で、平安時代に加賀国一宮の白山比盗_社(しらやまひめじんじゃ)から勧請されたそうです。白山姫神社拝殿は昭和39年(1964)に国の重要文化財に指定されています。
白山姫神社拝殿

日吉大社摂社白山姫神社本殿(国重文)
 日吉大社の摂社である白山姫神社の本殿は拝殿と同じく慶長3年(1598)に建てられています。間口3間、奥行2間の三間社流造り、檜皮(ひわだ)葺きです。正面1間通しの廂(ひさし)が前室となっています。向拝は1間で浜床(はまゆか)付き、前室の正面は蔀戸(しとみど)となっています。
白山姫神社本殿
 この本殿と樹下神社本殿とは、ほぼ同じ形式で造られていますが、装飾金具が少なく簡素な造りです。地味な落ち着いた中にも、各部の意匠に意を配った建物です。また、向拝(こうはい)は1間で浜床(はまゆか)付き、前室の正面は蔀戸(しとみど゙)となっています。本殿は明治39年(1906)に国の重要文化財に指定されています。
白山姫神社本殿

日吉大社西本宮拝殿(国重文)
 西本宮楼門の奥に西本宮の拝殿があります。西本宮は、日吉大社の中心的な存在で、新嘗祭などの主要行事は西本宮で執り行われています。明治時代には西本宮に主祭神を祀って、東本宮を摂社に格下げした時期もあったそうです。西本宮拝殿は天正14年(1586)に豊臣秀吉によって再建された建物です。昭和39年(1964)に国指定重要文化財に指定されています。
西本宮拝殿
 西本宮拝殿は間口3間、奥行3間の方三間、入母屋造り、妻入、単層、檜皮(ひわだ)葺きの建物です。外壁はなく、四方の柱間は吹き放しで、天井は中央部が一段と高くなっている折上小組格天井になっています。床外側には高欄が廻り屋根の妻面には妻飾りや木連格子が施されています。日吉大社境内の拝殿の中で一番格式の高い手の込んだ造りになっています。
西本宮拝殿

日吉大社西本宮本殿(国宝)
 西本宮の拝殿の奥に国宝の本殿があります。 祭神は大己貴神(おおなむちのかみ)です。「日吉大黒」として有名で日本3大大黒の一つです。天智天皇7年(668)に大津京遷都に当たって 大和の三輪山(大神神社)から勧請されました。西本宮本殿は天正14年(1586)に豊臣秀吉によって再建され、慶長2年(1597)に改修されています。
西本宮本殿
 本殿は、間口5間、奥行3間、日吉(ひえ)造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物です。日吉造りは、一名を聖帝(しょうたい)造りといい、3間・2間の身舎(もや)の前面、両側面に三方の廂(ひさし)がめぐらされた形をし、側面、背面が特徴のあるものとなっています。この様式は、全国でも日吉大社のみ現存している形です。
西本宮本殿
 本殿正面には、1間の向拝と浜床(はまゆか)があり、縁高欄(えんこうらん)が周りをめぐっています。東本宮本殿もほぼ同じ造りですが、東本宮の背面の床が高くなっているところが異なっています。西本宮本殿は昭和36年(1961)に国宝に指定されています。
西本宮本殿

御神木「かつら」
 西本宮には、日吉随一の御神木といわれる「かつらの木」があり縁結びのご神木として信仰を集め、「愛染桂」とも呼ばれています。大己貴命(おおなむちのかみ)が奈良の大神(おおみわ)神社よりここに来た時、携えていた御杖をこの地面に挿したところ、大きな桂の木になったそうです。毎年4月に執り行われる山王祭ではこの桂を冠にさして参加するそうです。
御神木 かつら

神馬舎
 日吉大社には「神馬舎」があります。神馬は神様が乗る馬であり、神様への捧げ物でもあります。馬は知性的で「従順」「活力」を象徴し、「武運」「勝利」「力」を祈念し絵馬が奉納されました。現在は白馬の像が安置されています。
日吉神馬

神猿
 神猿(まさる)は日吉山王大神第一の使いです。日吉大社は京都御所の表鬼門にあたります。御所の鬼門は 「猿ヶ辻」 と呼ばれ、魔去(まさ)るさんの木像がまつられています。「魔が去る」「何よりも勝る」とされ、鬼門・厄魔除の守護神と崇敬されています。
神猿(まさる)

山王鳥居
 山王鳥居は合掌鳥居とも呼ばれ、独特の形をしています。神道と仏教が融合した山王神道を象徴しているといわれています。明治の神仏分離令によって破壊されましたが、大正時代に再建されています。滋賀県の有形文化財に指定されています。
山王鳥居

求法寺走井元三大師堂
 求法寺(ぐほうじ)走井(はしり)元三大師堂(がんざんだいしどう)は延暦寺登山口の本坂脇に位置しています。元三大師(慈恵大師)良源が初登山の時、ここで入山修行の決意を固めたことから求法寺と称されたそうです。慈恵大師像を本尊として祀っています。
求法寺走井元三大師堂
 現在の建物は、間口5間、奥行3間の礼堂の背面に、間口3間、奥行3間の正堂が「凸」字形に接続しています。正徳3年(1713)建築に着手し翌年に完成しています。元三大師堂は滋賀県の有形文化財に指定されています。
求法寺走井元三大師堂

六角地蔵堂
 日吉大社の入口近く、比叡山の上り口に六角地蔵堂があります。早尾(はやお)地蔵尊とも呼ばれます。中の地蔵菩薩立像は、比叡山開祖の伝教大師最澄自作と伝えられています。「子育て地蔵」とも呼ばれ、子どもの成長に功徳があるといわれています。
六角地蔵堂


滋賀県トップページへ  旅と歴史トップページへ 


直線上に配置

SEO [PR] カード比較  冷え対策 温泉宿 動画無料レンタルサーバー SEO