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奈良の旅と歴史
滋賀の旅    大津市

石山寺
いしやまでら
滋賀県大津市石山寺1−1−1
Tel 077-537-0013


 石光山石山寺は大津南側の伽藍山の麓にあります。東寺真言宗の別格本山で、奈良時代に創建されてから1200年以上の歴史を持っています。本尊は勅封二臂如意輪観音で西国33箇所霊場観音霊場の第13番札所です。
 石山寺縁起によると、天平宝字5年(761)聖武天皇が東大寺を造立したとき、大仏鋳造用の金を得るため良弁僧正に祈願させて如意輪観音を祀って一宇を建てたのが始まりとなっています。当初は東大寺の末寺として華厳宗に属していました。
 石山院とよばれる造東大寺司(ぞうとうだいじし)の直轄する場所があり、良弁僧正はここを寺に改めたといわれています。天然記念物に指定されている本堂周辺にある珪灰(けいかい)石は石山寺の名前の由来にもなっています。
  平安時代の前期、京都醍醐寺の僧・聖宝が真言宗の道場とし、真言宗に改宗しました。さらに菅原道真の孫に当たる淳祐(じゅんゆう)らが入山し中興したことで寺運が隆盛し、天皇はじめ多くの皇族や貴族の参詣が盛んになりました。
 平安文学の格好の舞台ともなり、源氏物語、蜻蛉日記、栄華物語、更級日記などに記されています。源氏物語は最も有名で、作者の紫式部は本堂の一室にこもり、琵琶湖に映る十五夜の月を見て、「今宵は十五夜なりけり」と書き出し、壮大な長編小説「源氏物語」を完成させました。
 鎌倉時代の初めには、源頼朝が深く帰依し東大門や多宝塔など多くの堂宇を造営し諸堂の再建にあたりました。室町時代には歴代の足利将軍が参拝に訪れています。織田信長の兵火により被害を被り、一時衰退しますが、豊臣秀吉や淀殿などにより堂宇の造営や改修が行われ再興しました。
 徳川氏からも寄進を受け、ほぼ現在の寺観が整えられました。江戸時代は幕府から庇護され朱印地580石が安堵、西国33箇所霊場観音霊場としてにぎわいました。
 石山寺の境内は10万平方mと広大で、数多くの諸堂が硅灰石の中に点在しています。本堂と多宝塔は国宝に指定され、東大門、鐘楼、蓮如堂、御影堂、三十八所権現社、宝篋印塔などが国の重要文化財に指定されています。

石山寺東大門(国重文)
 石山寺の東大門は石山寺の正門です。建久元年(1190)に源頼朝によって創建されたと伝えられています。現在の東大門の建物は室町時代に再建され、慶長年間(1596-1615)に大改修されています。正面左右には運慶と湛慶の作といわれる仁王像が安置されています。
石山寺東大門
 東大門は間口3間、奥行2間、入母屋造り、本瓦葺き、三間一戸の単層八脚門です。本柱筋3間の中央間は板扉を吊り、その脇間と南・北面は白漆喰壁です。鎌倉時代の構造を持ちながら蟇股や懸魚などの彫刻に桃山時代の特徴が見られます。明治40年(1907)に国の重要文化財に指定されています。
石山寺東大門

石山寺御影堂(国重文)
 石山寺の御影堂は本堂の東、毘沙門堂の北、蓮如堂の西の平坦地に建てられています。空海(弘法大師)、良弁僧正、淳祐(じゅんゆう)の遺影(御影)を安置しています。もとは法華三昧の道場であったようです。室町時代に建立され、慶長年間(1596-1615)に丸柱など軸組を残して大規模に改修された建物です。
石山寺御影堂
 御影堂は間口3間、奥行3間の宝形造りで、檜皮(ひわだ)葺きです。背面に1間の張り出しがあります。蔀戸(しとみど)や簡素な軒まわりは住宅建築を思わせます。内陣には須弥壇が設けられ室町時代初期の特色を示しています。石山寺御影堂は平成20年(2008)に国の重要文化財に指定されています。
石山寺御影堂

石山寺鐘楼(国重文)
 石山寺の鐘楼は源頼朝が寄進したと伝えられています。鎌倉時代、至徳年間(1384-1387)頃に築造され、以後、修築されながら現在に至っていると思われます。鐘楼は明治40年(1907)に国の重要文化財に指定されています。
石山寺鐘楼
 間口3間、奥行2間、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺き、大きな袴腰が付いた鐘楼です。前後左右の均整がとれていて、袴腰全体が白壁の漆喰塗です。縁下と上層軒下の組物は尾垂木を用いていません。組物は屋根軒下、高欄下共に三手先組で、平安時代に鋳造された梵鐘が吊り下げられています。
石山寺鐘楼

石山寺毘沙門堂
 石山寺の毘沙門堂は本堂の東側に観音堂と並んで建っています。堂内に国の重要文化財に指定されている兜跋毘沙門天を祀っています。棟札・鬼瓦・寺蔵文書などから安永2年(1773)に建てられています。大坂で加工され、現地で組み立てていたことも判明しています。
石山寺毘沙門堂
 間口3間、奥行2間で、宝形造り、桟瓦葺きです。西面して建ち、正面に石燈籠2基を備えています。平面は概ね正方形ですが、間口3間に対し、奥行は2間で、内部には間仕切りがなく、一室の空間としています。毘沙門堂は滋賀県に有形文化財に指定されています。
石山寺毘沙門堂

石山寺観音堂
 石山寺の観音堂は毘沙門堂と並んで、西面して建っています。中規模の三間堂で、33所の観音を安置しています。参拝者が札を奉納するので札堂とも呼ばれ、多数の針穴があります。近世の民衆の信仰を集めた建物です。
石山寺観音堂

石山寺蓮如堂(国重文)
 石山寺の蓮如堂(れんにょどう)は蓮如上人6歳の御影や遺品、鹿の子の小袖、数珠を安置しています。慶長7年(1602)に淀殿の意向により三十八所権現社の拝殿として建立された建物です。明治時代に発令された神仏分離令により神式が廃され、蓮如上人の御影や遺品を祀ったことから蓮如堂と呼ばれるようになりました。
石山寺蓮如堂
 間口5間、奥行4間、単層、入母屋造り、桟瓦葺き、懸造り(舞台造り)で、妻入の建物ながら側面の高台に本殿が設けられ、側面の広縁を礼拝空間にしています。蓮如堂は平成20年(2008)に国の重要文化財に指定されています。
石山寺蓮如堂

硅灰石(けいかいいし)
 石山寺には硅灰石が一面に広がっています。古くから信仰され、石山寺の寺号の由来にもなっています。硅灰石は石灰岩と花崗岩が接触し、その作用熱により変質したものです。石山寺にあるものは地層面に沿って多数集合し、これが風化し独立した岩塊となっています。国内の硅灰石の中では最も規模も大きく、大正11年(1922)に国の天然記念物に指定されています。
石山寺硅灰石

石山寺本堂(国宝)
 石山寺の本堂は天平宝字5年(761)から6年(762)にかけて造東大寺司(ぞうとうだいじし)によって拡張されたことが正倉院文書に記されています。その後、承暦2年(1078)に焼失し、永長元年(1096)に再建されたのが現在の本堂です。巨大な硅灰石の岩盤の上に建立されています。
石山寺本堂
 石山寺本堂は間口7間、奥行4間、寄棟造り、檜皮葺きの「本堂」と、間口9間、奥行4間、寄棟造り、懸造り(舞台造り)、檜皮葺きの「礼堂」,、その両棟を結ぶ「相の間」によって構成されています。滋賀県で最も古い建物です。
石山寺本堂
 慶長7年(1602)に淀殿によって「礼堂」と「相の間」は建て替えられています。内部の露出部分には本尊である如意輪観音半枷像が安置され、周囲には大日如来坐像や不動明王坐像、維摩居士坐像、持国天立像、増長天立像などが安置されています。石山寺本堂は昭和27年(1952)に国宝に指定されています。
石山寺本堂

 本堂の外陣礼堂への入口北側に、「源氏の間」があります。花頭窓のある小さな部屋で、紫式部が源氏物語を起筆したところとして保存され、その時使用していたといわれる硯も伝えられています。寛弘元年(1004)式部は新しい物語を作るために石山寺に7日間の参籠をし、琵琶湖に浮かぶ月から物語の構想を得たといわれています。
源氏の間

三十八所権現社本殿(国重文)
 本堂のすぐ東に三十八所権現社(さんじゅうはっしょごんげんしゃ)本殿が建てられています。慶長7年(1602)に珪灰石の岩山の上に建てられた鎮守社です。一段降りたところに昔は拝殿として建てられた蓮如堂があります。
三十八所権現社本殿
 一間社の、檜皮(ひわだ)葺きの規模の大きな流造りの社殿です。岩盤に合わせて柱や束の長さを変えて、巧みに建てられています。随所に華麗な彫刻や彩色が施されています。三十八所権現社本殿は平成20年(2008)に国の重要文化財に指定されています。
三十八所権現社本殿

石山寺経蔵(国重文)
 石山寺の経蔵(きょうぞう)は本堂の北東の一番高いところに建てられています。国宝・淳祐内供筆聖教(しゅんにゅうないぐひつしょうぎょう)や国指定重要文化財・石山寺一切経(いっさいきょう)・校倉聖教(あぜくらしょうぎょう)などが収納されていました。工法や意匠から16世紀後期に建てられたと推察されています。
石山寺経蔵
 経蔵は間口3間、奥行2間、切妻造り、高床式校倉造り(高床の校木10段組)、桟瓦葺きです。全国的に見ても切妻造りの校倉造りは極めて少ないことから平成20年(2008)に国の重要文化財に指定されています。
石山寺経蔵

石山寺腰掛石
 石山寺の腰掛石は経蔵の横にあります。昔からこの岩に座ると安産になると言い伝えられ、信仰を集めています。
石山寺腰掛石

紫式部供養塔
 紫式部供養塔が経蔵の東に建てられています。ふつうは一重である笠の部分が三重となっています。上層軸部をほりだしている点からよせあつめでないことがわかります。無銘ですが鎌倉時代中期頃と思われ国の重要美術品に指定されています。
紫式部供養塔

芭蕉句碑
 芭蕉句碑が紫式部供養塔の隣にあります。「あけぼのは まだむらさきに ほととぎす」と刻まれています。石山寺に滞在したことのある芭蕉が石山寺の源氏の間で読んだ句だといわれています。この句の他にも「石山の石にたばしる霰(あられ)かな」などの句も残しています。
芭蕉句碑

石山寺多宝塔(国宝)
 石山寺の多宝塔は建久5年(1194)に源頼朝が寄進したと伝えられ、日本最古の多宝塔です。本堂同様、昭和26年(1951)に国宝に指定されています。北条政子が建立した高野山金剛三昧院の多宝塔、大阪府泉佐野市の慈眼院の多宝塔(いずれも国宝)とともに日本3名塔の一つに数えられています。
石山寺多宝塔
 多宝塔は高さ約17m、屋根の反りや軒の出など非常に均整の取れた優美な塔で、日本で最も美しい多宝塔建築だといわれています。上下2層の多宝塔で、下層部は間口3間、奥行3間の方形で回りに縁がめぐらされています。上層部は円形で頂きには高い相輪がそびえ、相輪から四隅への鉄の鎖が垂れています。
石山寺多宝塔
 石山寺多宝塔の内部に施された装飾面は創建当時のものがそのまま残されています。内陣を囲う4本の柱(四天柱)には仏・菩薩の画像が42体も描かれ、天井や廻り縁、長押などには一面に宝相華(ほうそうげ)文や極彩色豊かな装飾などが施されています。
石山寺多宝塔

めかくし石
 石山寺にある「めかくし石」は多宝塔の近くにあります。平安時代に製作されたもので 目をかくして、この石を完全に抱くことができれば、諸願成就するそうです。
めかくし石

宝印塔篋(国重文)
 多宝塔の西に昭和36年(1961)に国の重要文化財に指定された宝印塔篋があります。高さ128cmで、南北朝時代のものと推定されています。源頼朝と亀ヶ谷禅尼の供養塔といわれている内の一つです。亀ヶ谷禅尼は頼朝の乳母であった人で、頼朝の家来の中原親能の妻でした。
宝印塔篋

紫式部像
 境内の奥に紫式部の銅像があります。村上天皇の皇女選子内親王がおもしろい物語を一条院の后上東門院に所望しました。上東門院は女房の紫式部に命じ、新しい物語を書くように促しました。そのため式部は石山寺に参籠して源氏物語を書き上げたそうです。裏山には豊浄殿という宝物殿があり、式部のゆかりの品を見ることができます。
紫式部像

水車
 石山寺に水車があります。室町時代の「石山寺縁起絵巻」には瀬田川の水を汲み上げる水車の図が描かれています。近くには水車小屋があり、この水車を使い人々が脱穀したとの記録もあります。
水車

石山寺密蔵院
 明治26年(1893)、島崎藤村は石山寺に参詣し、ハムレット一冊を献じました。そして、2ヶ月近い寄宿生活を石山寺の茶丈である蜜蔵院の奥で始めたそうです。その「茶丈」密蔵院が境内に移築されています。
石山寺蜜蔵院

閼伽井屋
 閼伽井屋(あかいや)は本堂のある岩山の下の放生池近くにあります。間口2間、奥行1間、切妻造り、妻入、桟瓦葺きの小さな堂宇です。本尊の如意輪観音に差し上げる水を供給するところです。正面に格子戸があり、その上に複雑な彫刻の紅梁と蟇股を据えて正面を飾っています。内部は大きな岩盤に水が溜まっている神聖な井戸になっています。
閼伽井屋

比良明神影向石
 石山寺に比良明神影向石があります。この岩の上に翁の形をした比良明神がいて、東大寺大仏を造る黄金を探していた良弁僧正に、この地で拝めば金が見つかると告げました。岩盤の上に祠を建て如意輪観音像を安置し、お祈りをしたところ、陸奥の国で金が見つかり大仏を完成させました。観音像が岩から離れないので、お寺を建て、この寺の守り神とし石山寺が始まりました。
比良明神影向石

くぐり岩
 石山寺の本堂へ上る階段の下近くに「くぐり岩」と呼ばれる岩石があります。岩は全部大理石で、創建時代からある奇怪な岩山です。奇岩怪石の暗い洞穴は体内くぐりのように口を開けています。
くぐり岩

天狗杉
 天狗杉は参道の奥に立つ大杉です。石山寺屈指の学僧・郎澄(ろうちょう)律師は平安末から鎌倉初期にかけて石山寺の整備に尽力し、死後は鬼になって石山寺を守ることを誓って亡くなりました。「石山寺縁起絵巻」に律師の死後、弟子の行宴(ぎょうえん)が松の梢の上で金色の鬼の姿になった師を見たと記されています。これとは別にこの天狗杉の上に現れたとも伝えています。
天狗杉

三鈷の松
 三鈷(さんこ)とは、密教で用いられる法具です。金剛杵の一種で両端が、3つにフォーク状になっています。その三鈷杵に準えたのが三鈷の松と呼ばれ、中国では三葉の松は神聖な樹とされ、王宮の庭園や寺院や墳墓等に植えられました。空海(弘法大師)は弘仁2年(811)、石山寺で修行しました。大師ゆかりの松なので三鈷の松といわれ、寛政9年(1797)の東海道名所図鑑にも立派な柵で囲まれた松が描かれています。
三鈷の松

月見亭
 月見亭は多宝塔の東にあります。瀬田川の清流を見下ろせる眺望の良い高台に建てられています。隣には茶席の芭蕉亭があります。月を眺めるのが目的で、江戸時代後期の貞保4年(1687)に建てられたもので、近江八景の「石山の秋月」の舞台です。紫式部の「源氏物語」もこの辺から生まれています。
月見亭


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