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奈良の旅と歴史
滋賀の旅    大津市

勧学院
かんがくいん
滋賀県大津市園城寺町246
Tel 077-524-0920


 勧学院(かんがくいん)は唐院の南、村雲橋を渡った右手にあります。三井寺子院の中でも格式の高い子院の一つで、かつては三井寺の学寮でした。勧学院とは、学を勧めるところ、つまり講学の場(学問所)です。南都・北嶺の諸大寺には必ず設けられ、その歴史は、古く平安時代9世紀にまで遡るそうです。
 三井寺の勧学院は「三井続灯記」に正和元年(1312)に創立と記されています。文禄4年(1595)、豊臣秀吉に闕所(けっしょ、寺域の没収)を命じられ破却されました。その後、秀吉は、死の直前に闕所を解除しました。以後、北政所や秀頼によって再建が進められ、慶長5年(1600)毛利輝元の手により再建されました。


勧学院客殿(国宝)
 勧学院の客殿は桃山時代の書院造建築の代表作とされ、昭和27年(1952)に国宝に指定され、池泉式庭園は、園城寺勧学院庭園として国の名勝に指定されています。客殿内部の各部屋は襖で仕切られ、それを払えば大広間となり、学問所であったことがうかがえます。
勧学院客殿
 間口7間、奥行7間、入母屋造り、妻入、正面軒唐破風付、単層、総柿(こけら)葺きで、光浄院客殿よりもやや規模が大きめです。中門は間口1間、奥行1間、単層、切妻造りで、中門や広縁は光浄院とほぼ同じで、中世の主殿造の様式です。
勧学院客殿
 勧学院客殿は東を正面とし、軒唐破風の下に車寄、その北を蔀戸・吹放しの広縁としています。内部は南北を大きく三列に分け、南列の一之間と 広い二之間には、狩野光信(かのうみつのぶ)による華麗な障壁画が部屋を飾っています。
勧学院客殿
 狩野光信は狩野永徳の長男で、永徳のあとを継いで織田、豊臣、徳川の3氏に仕えました。勧学院客殿の他、安土城、肥前名護屋城、二条城、伏見城などの城郭や寺院、禁裏の障壁画なをを制作しました。その筆法は父永徳の豪放とは対照的で、繊細、優美な画風で、宗秀、山楽らとともに永徳没後の桃山画壇を支えました。
勧学院客殿


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