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奈良の旅と歴史
滋賀の旅    大津市

光浄院
こうじょういん
滋賀県大津市園城寺町246
Tel 077-522-2238


 光浄院は金堂の北にあります。三井寺山内で最も格式の高い子院で、その外郭には、城郭を思わせる豪快な石垣が見られます。現在、寺の長吏(住職)の住房となっています。光浄院は室町時代の寛正元年(1460)に瀬田城の城主であった山岡資広(すけひろ)によって創建されたといわれています。
 資広の子孫、暹慶(せんけい)は光浄院の住職をしていましたが、足利15代将軍義昭の命により還俗し山岡景友(かげとも)と名乗り、山城半国の守護に任じられました。景友はのちに織田信長、豊臣秀吉に仕え、再び剃髪して道阿弥と号しました。
 文禄4年(1595)、豊臣秀吉に闕所(けっしょ、寺域の没収)を命じられ光浄院は三井寺諸堂とともに破却されました。道阿弥は照高院道澄とともに秀吉の恩赦をえるため懸命に努力しました。そして慶長6年(1601)、光浄院は再建されました。


光浄院客殿(国宝)
 光浄院の客殿は間口7間、奥行6間、単層、入母屋造り、妻入、正面軒唐破風付、総柿(こけら)葺きで、勧学院客殿よりもやや小さめです。中門は間口1間、奥行1間、単層、切妻造りで、中門や広縁は勧学院とほぼ同じで、中世の主殿造の様式です。
光浄院客殿
 光浄院の客殿は日本の住宅建築の源泉となった書院造りの代表的遺構として、昭和27年(1952)に国宝に指定されました。室町時代後期の庭園も、勧学院光浄院庭園として昭和9年(1934)、国の名勝・史跡に指定されています。
光浄院客殿
 客殿の内部は南北2列に別れていて、南側の上座の間には、正面に床と違棚、北面には帳台構を設けています。南側の広縁に突出して2畳の上段の間があり、ここには更に床と書院が付けられています。そして 狩野山楽(さんらく)による見事な障壁画(重要文化財)が描かれています。
光浄院客殿


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