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奈良の旅と歴史
滋賀の旅    近江八幡市安土町

奥石神社
おいそじんじゃ
滋賀県近江八幡市安土町東老蘇1615
Tel 0748-46-2481


 繖山(きぬがさやま)の南麓、国道8号線と東海道新幹線が立体交差するところに老蘇(おいそ)の森があります。万葉の昔から多くの歌人や旅人によって歌に詠まれ「歌枕」としても名高い森で国史跡に指定されています。その森の中に奥石神社は建てられています。
 奥石神社は延喜式内社で祭神には繖山の祭神でもある「天児屋根命」(あめのこやねのみこと)を祀っています。藤原氏の祖の神で、奥石神社は繖山山頂の磐座を遠拝する祭祀場として建てられたのではないかと推察されています。
  社伝によると中世には鎌宮(かまみや)神社と称し、崇神天皇の時代に、吉備武彦が武運祈願のために勧請し、孝霊天皇の時代、石辺大連が社殿を建立したと伝えられています。鎌宮は「蒲生野宮(かまふのみや)」がなまって付けられたといわれています。大正13年(1924)に鎌宮神社から奥石神社と改称しています。
 石の鳥居をくぐり 杉の大木の中の参道を進むと、奥石神社の社殿が現れます。玉砂利が敷き詰められた境内には、国指定重要文化財の本殿、市指定文化財の境内社諏訪社本殿のほか、拝殿や稲荷神社などが建てられています。


奥石神社本殿(国重文)
 奥石神社の本殿は桃山時代の天正9年(1581)に、織田信長が家臣の柴田家久(勝家の一族)に命じて造立させたもので、明治35年(1902)、 国の重要文化財に指定されています。
奥石神社本殿
 本殿は三間社流造り、檜皮(ひわだ)葺きです。流造りの庇の間に建具を設けて前室とし、さらに向拝1間をつけています。滋賀県内の中世の流造りの形式を受け継ぎ、優美に発達させたものです。唐草文様を透彫りした蟇股や、彫刻を施した手挟(てばさみ)、格狭間(こうざま)など華麗な装飾は見事です。
奥石神社本殿

奥石神社境内社諏訪社本殿
 奥石神社境内社諏訪社本殿は本殿に向かって左に鎮座しています。正面柱間1.32mの一間社流造り、檜皮(ひわだ)葺きで、近江八幡市の有形文化財に指定されています。建築年代は明らかではありませんが舟肘木(ふなひじき)、向拝の木鼻、連三斗組(つれみつどぐみ)の特徴から本殿と同じく桃山時代に造られたと思われます。
奥石神社諏訪社本殿

老蘇の森(国史跡)
 老蘇(おいそ)の森は万葉の昔から和歌に詠まれています。奥石神社が延喜式神名帳に載せられたのは、繖山や老蘇の森と深い結びつきのある神社であったからともいわれています。本居宣長は「夜半ならば 老蘇の森の郭公 今もなかまし 忍び音のころ」と詠んでいます。
老蘇の森
 日本武尊(やまとたけるのみこと)を救うために、妃の弟橘姫命(たちばなひめのみこと)が身代わりになり荒海に身を投げたという伝説があります。その時身ごもっていて、老蘇の森にとどまって永遠に女人の安産を守ると言い残し、波間に消えたそうです。このことから奥石神社は安産の神といわれ、今でも広く信仰されています。
老蘇の森


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