あなたは 番目の訪問者です。(ogino作成共通カウント)
直線上に配置
奈良の旅と歴史
滋賀の旅    近江八幡市安土町

浄厳院
じょうごんいん
滋賀県近江八幡市安土町慈恩寺744
Tel 0748-46-2242


 金勝山浄厳院はJR安土駅の南西約700m、歩いて10分くらいのところにある浄土宗のお寺です。天正5年(1577)、織田信長は六角氏の菩提寺であった慈恩寺を破壊したあとに、近江、伊賀の浄土宗の総本山として金勝寺の僧・浄厳坊応誉明感を開基として招き、浄土宗金勝山浄厳院として創建しました。
 天正7年(1579)浄厳院本堂で浄土宗と日蓮宗との宗教論争「安土問答」(安土宗論)が行われたことで有名です。裁定は日蓮宗の敗北と決し、日蓮宗側は処罰され、これ以後他宗への法論を禁じられたそうです。他宗と衝突する日蓮宗を抑えようとする信長の思惑があったようです。
 信長は、浄厳院の本堂として多賀村(現・近江八幡市)の興隆寺の弥勒堂を移しました。本尊の阿弥陀如来坐像も愛知郡二階堂の古寺からを移し、安置させました。国の重要文化財に指定されているこの本尊は、平安時代につくられた丈六仏で、高さが2.7mもあり、飛天光這背を負い、結跏趺坐(けっ かふざ)をしている像です。
 本堂と楼門は国の重要文化財に指定され、鐘楼、不動堂、宝篋印塔は近江八幡市有形文化財に指定されています。境内には他にも釈迦堂、観音堂、書院、庫裏、勅使門などが建てられています。
 寺宝の絹本着色山王権現像、厨子入銀造阿弥陀如来像、厨子入銅製舎利塔などは国の重要文化財に指定され、織田信長朱印状、称讃浄土仏摂受経が県有形文化財に、木造釈迦如来立像、絹本著色観無量寿経変相図が市有形文化財に指定されています。


浄厳院楼門(国重文)
 浄厳院の楼門は慈恩寺の楼門として天平年間(1532-1555)に建立された朱塗りの門です。三間一戸、八脚、中央に板扉を構える2階建ての楼門で、入母屋造り、本瓦葺きです。南向きで、左右に二王像を配しています。昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。
浄厳院楼門

浄厳院本堂(国重文)
 浄厳院の本堂は浄厳院創建に当たり、織田信長が多賀村の興隆寺の弥勒堂を移したもので、室町後期の建物です。間口7間、奥行6間、単層、入母屋造り、向拝3間、背面下屋付属、本瓦葺きです。明治36年(1903)に国の重要文化財に指定されています。
浄厳院本堂
 前身の興隆寺は天台宗寺院であったため、移築前の弥勒堂は、内部を前後に分割して内陣と外陣に分け、格子扉で区切っていました。移築した時に、内陣と外陣の間の格子を取り払い、浄土宗の本堂に改変されました。 和様を主体とした古い様式を残した室町時代末期の遺構です。
浄厳院本堂

浄厳院鐘楼
 浄厳院の鐘楼は腰袴付きの本格的なもので、寛保2年(1741)に建てられたものです。切石三段積基壇の上に建つので高く感じさせます。腰袴の裾の広がりと、軒の出の深さが荘厳な感じを出しています。鐘楼は近江八幡市有形文化財に指定されています。
浄厳院鐘楼

浄厳院不動堂
 浄厳院の不動堂は宝形造り、桟瓦葺きで禅宗様を取り入れた小堂です。隅鬼瓦銘から、元禄16年(1702)に建てられた建物で、近江八幡市有形文化財に指定されています。基壇上に建ち、正面は桟唐戸両開きで、両脇の小間に火頭窓を付けています。
浄厳院不動堂

浄厳院釈迦堂・観音堂
 浄厳院の釈迦堂は観音堂の左隣りにあります。入母屋造り、桟瓦葺きで、天保10年(1839)に建てられた仏堂です。不動堂とよく似た観音堂は入母屋造り、本瓦葺きで、享保6年(1721)に建てられています。
浄厳院釈迦堂・観音堂


滋賀県トップページへ  旅と歴史トップページへ 


直線上に配置

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送