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奈良の旅と歴史
滋賀の旅    蒲生郡竜王町

苗村神社
なむらじんじゃ
滋賀県蒲生郡竜王町大字綾戸468
Tel 0748-57-0160


 苗村神社は、琵琶湖の東岸、近江八幡より陸側に入った竜王町の中央の田園地帯にあります。大きな鎮守の森の中にあり、近郷一帯33カ村にわたって氏子を有し、33年に一度行われる大祭は有名です。
 苗村神社には、東と西に2つの本殿があります。東側には国の重要文化財の東本殿があり、西側には国宝の西本殿をはじめ、楼門、八幡神社本殿、十禅師社本殿、神輿庫など国の重要文化財に指定された歴史のある建物が建てられています。
 創建の年代は明らかではありませんが、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に、長寸(なむら)神社の名で記されているのが苗村神社の前身であると考えられています。
 寛仁元年(1017)、朝廷に長寸郷より門松用の松苗を献上し、後一条天皇より苗村の称号を賜り苗村神社と改称したといわれています。安和2年(969)に大和国吉野の金峯山から国狭槌命が勧請されると、本殿の西にも社殿が造営され、そこに国狭槌命が鎮座されました。
 元来あった東本殿には苗村の産土神である那牟羅彦神(なむらひこのかみ)と那牟羅姫神(なむらひめのかみ)が祀られ、新しくできた西本殿には国狭槌命(くにのさづちのみこと)が祀られるようになりました。
 苗村神社は歴代の領主からも崇敬され天正年間(1573-1592)には織田信長より馬鞍一基と大刀七振が奉納されています。神仏分離令までは、神仏習合であったので境内には苗村宮庵室と称する僧坊があり護摩堂もありました。明治14年(1881)には郷社、大正6年(1917)には県社に列しています。


苗村神社楼門(国重文)
 苗村神社の楼門は大永2年(1522)に建てられた、この地方最大規模の雄大な楼門です。三間一戸の楼門で、入母屋造り、茅葺きです。下段の中央間に扉はなく、すべての柱間を開放しています。上段は楼門の型通りの柱間装置を備え、腰組には高欄を巡らしています。
苗村神社楼門
 楼門は全体的には和様を基調としています。上層の扉や連子窓は古式を示していて、軒尾垂木(のきおだるき)の先端を斜めして、強い反りをつけている所は禅宗様の手法です。下層は、縦横に貫で組まれ、斗拱間の小壁に至るまで開放されています。明治37年(1904)に国の重要文化財に指定されています。
苗村神社楼門

苗村神社神輿庫(国重文)
 神輿庫は西本殿の近くにあって正面は西を向いて建てられています。庫内には33年に一度の秋季大祭や、毎年4月20日に行なわれる苗村祭りに担がれる神輿3基が置かれています。間口4間、奥行2間、単層、切妻造り、檜皮(ひわだ)葺きで、天文5年(1536)に建てられています。昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されています。
苗村神社神輿庫
 神輿庫は正面と北側面に各一ヶ所の出入口があるほかは柱間のすべてを板壁とした簡素な建物です。天文5年(1536)に正一位の神位を受けた時に、勅使の装束召替仮殿として建築され、後に神輿庫に用いられています。出入口の他に開口部のない事から、当初から神輿庫、御供所などにする予定で建てられたようです。
苗村神社神輿庫

苗村神社十禅師社本殿(国重文)
 苗村神社の境内社である十禅師社(じゅうぜんじししゃ)本殿は西本殿の向かって右側の建物です。一間社流造り、檜皮(ひわだ)葺きで、室町時代中期に建てられています。蟇股(かえるまた)など装飾を施さない古式をとどめた社殿で、母屋の内部は一室とし、正面に幣軸板扉を設け、他の三面を板壁としています。
苗村神社十禅師社本殿
 十禅師社は山王二十一社のうち上七社の一社十禅師の分霊社です。天台宗護法神の一社で、台密(だいみつ)勢力のもとに苗村神社社域に勧請されたと思われます。身舎は船肘木、向拝は連三斗と簡素で装飾が少ないのが特徴です。昭和46年(1971)に国の重要文化財に指定されています。
苗村神社十禅師社本殿

苗村神社八幡社本殿(国重文)
 苗村神社の境内社である八幡社本殿は西本殿の向かって左側の建物です。建立年代は、明らかではありませんが、東本殿や楼門などと同時代の室町時代中期の建立と考えられています。一間社流造り、檜皮(ひわだ)葺きで、側面に幣軸板扉の出入り口が付いています。
苗村神社八幡社本殿
 八幡社本殿は小型の一間社ですが、組物出三斗に蟇股(かえるまた)などの装飾が施され、少し華美な建物です。正面柱間に装置をつけず、それより30cm奥に内外陣境の板扉をつけるなど、特異な手法を用いています。明治37年(1904)に国の重要文化財に指定されています。
苗村神社八幡社本殿

苗村神社西本殿(国宝)
 苗村神社の西本殿は玉垣内の中央に建てられています、徳治3年(1308)に再建された社殿で昭和30年(1955)に国宝に指定されています。三間社流造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物で、流造りの庇の部分に前室をつけ、さらに1間の向拝を設けています。正面の蟇股には、左右相称の華麗な透彫(すかしぼり)が施されています。
苗村神社西本殿
 西本殿の内部には厨子が納められています。これもまた本殿と同時期に作られたもので、西本殿の附けたりとして国宝に指定されています。西本殿は滋賀県に多くみられる中世の本殿形式で、その中でも最も古く、形態、意匠に優れている建物といわれています、
苗村神社西本殿

苗村神社拝殿
 楼門をくぐった先に苗村神社の拝殿が建てられています。間口3間2尺、奥行3間2尺、入母屋造りです。舞殿のようなこの地方特有な拝殿で、南向きに配置されています。その奥の玉垣内には西本殿が鎮座しています。
苗村神社拝殿

子守の像
 苗村神社の神輿庫の手前に子守の像が建てられています。祭神である国狭槌命(くにのさづちのみこと)は山の神の大山祇命、野の神の鹿屋野比売命(かやぬひめのみこと)二神から生まれた神で、縁結びや商売繁盛、厄除け、安産や子宝にご利益があるといわれています。
子守の像

苗村神社不動堂
 苗村神社の不動堂には国の重要文化財の木造不動明王立像が安置されています。明治の神仏分離令までは、神仏習合であったので境内には苗村宮庵室と称する僧坊があり護摩堂もありました。不動明王像はその庵室の護摩堂の本尊だったものです。
苗村神社不動堂

苗村神社東本殿(国重文)
 東本殿の参道の入り口には「式内長寸神社」と刻まれた石碑が建てられています。苗村神社の東本殿は西本殿とは離れたところにぽつりと建っています。一間社流造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物は室町時代中期に建てられた社殿で大正13年(1924)に国の重要文化財に指定されています。
 東本殿の正面は格子戸ですが、少し入ったところに幣軸を廻らして板扉を建て、東側面にも同様の扉口を設けています。大きめで、簡素な一間社ですが、蟇股には優美な彫刻が施されています。前庭にある石灯籠には永享4年(1432)の銘があり本殿建立の時に造られたとの見方もあります。
苗村神社東本殿


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