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奈良の旅と歴史
滋賀の旅    野洲市

生和神社
いくわじんじゃ
滋賀県野洲市冨波乙(とばおつ)631
Tel 077-587-2007


 生和神社は野洲駅の北東約1.2kmのところにあります。当時の領主であった生和三郎こと藤原忠重は奈良の春日大社に祈願して、里人を苦しめていた冨波一の沢にいた大蛇を命と引き換えに退治しました。これに感謝した村人が寛弘6年(1009)に一宇を造立したのが生和神社の始まりです。
 朝廷からの崇高は厚く、延徳3年(1491)後土御門天皇は、正一位の神階と勅額を下賜されました。大永6年(1526)には、当時の領主であった藤村左衛門尉成俊が田地300石を寄進しています。しかし、天正4年(1576)、織田信長により田地の大部分を没収されてからは衰微していきました。
 明治10年(1877)、村社になり、昭和24年(1949)、生和神社本殿と摂社春日神社本殿が宝暦・嘉永の棟札とともに重要文化財に指定されました。境内には他に拝殿、神輿庫、神饌所、祭器庫、社務所、手水舎、中門、透塀 日吉神社本殿などが建ち並んでいます。


生和神社拝殿
 生和神社の拝殿は間口3間、奥行3間、単層、入母屋造り、本瓦葺きの建物です。舞殿のような造りで、四方吹き抜けの造りで戸がはめこまれています。奥には生和神社本殿と摂社春日神社本殿が鎮座しています。
生和神社拝殿

摂社日吉神社本殿
 摂社日吉神社本殿は生和神社本殿の左側に建てられています。一間社、流造り、檜皮葺きで、右側にある春日神社本殿よりも一まわり小ぶりです。
日吉神社本殿

生和神社本殿(国重文)
 生和神社の本殿は間口2間3尺、奥行2間1尺の一間社、流造り、単層、檜皮葺きの建物です。近くにある国宝の大笹原神社本殿は応永2年(1425)に建てられていますが、生和神社本殿の蟇股や花肘木、格狭間の意匠が、それよりもやや古式であるため、南北朝時代に建てられたと推定されています。
生和神社本殿
 生和神社の本殿は一間社としては大型で背面に縁を廻し、中揃えに蟇股を飾っているのが特徴です。蟇股には宝相華文様や宝珠と雲などの立派な彫刻が施されています。摂社春日神社本殿とともに昭和24年(1949)、国の重要文化財に指定されています。
生和神社本殿

摂社春日神社本殿(国重文)
 生和神社の摂社春日神社本殿は生和神社本殿の右側に建てられています。一間社、流造り、単層、檜皮葺きの建物です。形式手法は本殿より古式で、鎌倉後期(1275-1332)の建築と考えられています。小規模ながら舟肘木や向拝の手狭などに当時の意匠や工法が伺えます。生和神社本殿とともに昭和24年(1949)、国の重要文化財に指定されています。
春日神社本殿


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