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奈良の旅と歴史
滋賀の旅    野洲市

御上神社
みかみじんじゃ
滋賀県野洲市(やすし)三上838
Tel 077-587-0383


 御上神社は三上山の西麓、国道8号線に沿う杜の中に建てられています。孝霊天皇6年(BC285)、「近江富士」と呼ばれる三上山の山上に天降った天之御影命(あめのみかげのみこと)を御上祝(みかみのはふり)たちが、神奈備(神体山)として祀ったのが始まりと伝えられています。
 天之御影命は国土開発の祖といわれ、鍛治の祖神とされている天目一箇神(あめのまひとつねのみこと)と同じ神されと敬われました。養老2年(718)、勅命により藤原不比等が三上山の周囲に群生していた榧の木を用いて、現在地に社殿を造営し里宮とし、三上山山頂の盤座を奥宮としました。
 元慶2年(878)に神階正一位を授かり、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には「名神大社」と記載されています。中世以降は武神として尊崇を集めています。木曽義仲の神馬奉納、源頼朝や足利尊氏、豊臣秀吉も社領の社領の寄進をしています。
 国宝の本殿をはじめ、拝殿、楼門、若宮社、木造狛犬1対(京都国立博物館寄託)は国の重要文化財に指定されています。楼門、拝殿、本殿は一直線上に配されています。また三宮神社は滋賀県指定文化財で、三上のずいき祭は重要無形民俗文化財の指定を受けています。


御上神社楼門(国重文)
 境内の地下から湧き出ている霊水の手水舎の奥に御上神社の楼門が建てられています。三間一戸、檜皮(ひわだ)葺き、二重、軒の出の大きな入母屋造りの楼門です。康安3年(1365)の墨書銘が残されていて、その頃に建てられています。重厚感のある楼門で、扉の左右には随神が祀られています。
御上神社楼門
 斗きょうは上下層とも三手先(みてさき)の和様です。上層に一本も尾垂木(おだるき)がないのが非常に珍しいです。楼門の右手には愛宕神社、竃殿神社があります。。御上神社の楼門は明治32年(1899)に国の重要文化財に指定されています。
御上神社楼門

御上神社拝殿(国重文)
 御上神社の拝殿は楼門と本殿の間に建てられています。間口3間、奥行3間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きで、1間の向拝を付けています。鎌倉時代の建築で、かつての本殿を移築、改造したものと伝えられています。
御上神社拝殿
 拝殿は四方は吹き放しで、内部の天井は2本の大虹梁(だいこうりょう)を渡して、その中央を竿縁天井としています。屋根の勾配はゆるく、一見のびのびとした軽快な感じがします。明治32年(1899)に国の重要文化財に指定されています。
御上神社拝殿

御上神社本殿(国宝)
 御上神社の本殿は鎌倉時代後期から南北朝初期の間に建てられたと思われます。間口3間、奥行3間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きで、1間の向拝を付けています。拝殿と非常によく似た造りです。神社・寺院・殿舎の様式を混合させたような形になっており、その独特な構造から「御上造り」と呼ばれることもあります。
御上神社本殿(国宝)
  本殿は一見、仏堂を思わせる建物ですが、屋上に千木(ちぎ)や鰹木(かつおぎ)を上げているので神社建築とされています。入母屋造りのほか、白漆喰の壁や連子窓などは仏堂的要素が強いところです。鎌倉時代の神仏混合の神社本殿建築の遺構として大変貴重な建物です。
御上神社本殿(国宝)
 回り縁には高欄が付き、縁を支える束下に蓮弁反花(れんべんかえりばな)の礎石が置かれ、その一つに「建武4年(1337)」の刻銘があります。殿内は、中央の方一間を内陣とし、宝形造り、板葺きの1間厨子を置いています。裏側には扉があり、三上山の遥拝所であった名残といわれます。昭和27年(1952)に国宝に指定されています。
御上神社本殿(国宝)

御上神社摂社若宮神社本殿(国重文)
 御上神社本殿に向かって左側に摂社若宮神社本殿が建てられています。一間社の流造り(ながれづくり)、檜皮(ひわだ)葺きです。鎌倉時代末期の建築とみられ、向拝に見事な造りの蟇股(かえるまた)が配されています。御上神社摂社若宮神社本殿として昭和6年(1931)に国の重要文化財に指定されています。
若宮神社本殿

御上神社摂社三宮神社本殿
 御上神社の摂社である三宮神社本殿は御上神社本殿に向かって右側に建てられています。一間社の流造り(ながれづくり)、檜皮(ひわだ)葺きです。室町時代の建築と思われています。御上神社摂社三宮神社本殿として、昭和35年(1960)に滋賀県の有形文化財に指定されています。
三宮神社


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