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和歌山の旅と歴史
和歌山の旅    有田市

浄妙寺
じょうみょうじ
和歌山県有田市宮崎町1000
Tel 0737-82-3885


 醫王山浄妙寺は臨済宗妙心寺派のお寺です。箕島駅から南西2kmの丘陵の中腹にあります。寺伝によると、大同元年(806)、平城天皇の母・乙牟漏(おとむろ)皇后の発願により、鑑真の弟子の唐僧・如宝(にょほう)律師が創建したと伝えられています。
 湯浅氏などに庇護され、七堂伽藍の名刹として繁栄しましたが、天正13年(1585)、豊臣秀吉の兵火を受け、山中にあった薬師堂(現在の本堂)と多宝塔を残し灰燼に帰しました。
 その後、荒廃し一時法灯が途絶えました。正保4年(1647)、紀州藩初代藩主・徳川頼宣(よりのぶ)が再興しました。寛文2年(1662)には多宝塔が修理され、和歌山吹上寺の開山圭瑞が中興開山し臨済宗に改めました。
 薬師堂(現在の本堂)と多宝塔は国の重要文化財に指定されています。また薬師堂に安置されている木造薬師如来、両脇侍像、木造12神将立像は彫刻物として、蓮華唐草文螺鈿須弥壇は工芸品として、国の重要文化財に指定されています。須弥壇は宇治の鳳凰堂や、平泉の金色堂の須弥壇と酷似し、乙牟漏(おとむろ)皇后の寄進と伝えられています。


浄妙寺本堂(国重文)
 浄妙寺の本堂は以前の薬師堂で、間口3間、奥行3間、単層、寄棟造り、本瓦葺きで、正面に1間の向拝をつけています。須弥壇は宝珠柱をを設けた勾欄をめぐらし、全面黒漆で仕上げられているそうです。鎌倉時代後期の建治から元弘年間(1275-1332)頃の建物と思われます。
浄妙寺本堂
 貞享3年(1686)、紀州藩の2代藩主・徳川光貞(みつさだ)が修築し、享保3年(1718)には伊予西条藩の2代藩主から紀州藩6代藩主になった徳川宗直(むねなお)によっても修復されています。本堂は明治37年(1904)に国の重要文化財に指定されています。
浄妙寺本堂

浄妙寺多宝塔(国重文)
 浄妙寺の多宝塔は本瓦葺きの、三間多宝塔で、本堂の西側の高台に建てられています。高さは空輪頂上を入れて12.98mあります。鎌倉時代後期の建治から元弘年間(1275-1332)頃の建物と思われます。多宝塔は明治37年(1904)に国の重要文化財に指定されています。
浄妙寺多宝塔


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