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和歌山の旅
橋本市
隅田八幡神社
すだはちまんじんじゃ
和歌山県橋本市隅田町垂井622
Tel 0736-32-0188
隅田八幡神社は縁起によると、貞観元(859)、神功皇后が三韓遠征の帰路駐留した旧跡の地に石清水八幡宮を勧請したのが始まりといわれています。石清水八幡宮の荘園として隅田庄の開発と支配が行われ、隅田別宮といわれました。
天永元年(1110)に隅田庄内の豪族・長(のちの藤原・隅田)忠延が隅田八幡宮の俗別当および隅田庄の公文(庄官)に任命されました。忠延は、隅田氏の祖といわれ、以後、隅田八幡宮の俗別当職と公文職の両職を隅田氏が世襲し、その後代々地頭職を兼ね強大な力を持ちました。
永禄3年(1560)、松永久秀に攻められ、兵火で社殿は焼失、慶長年間に再建されました。文政2年(1819)に再び焼失し、文政5年(1822)に再建された社殿が現在残された社殿です。江戸時代には神主1人、禰宜2人、神子1人、供僧6人、宮使1人 承使1人いたそうです。
神宝の人物画象鏡は銅鏡です。銘文には「癸未年」(503年)、「男弟王」が大和の「意柴沙加宮」(忍坂宮)にいたときに「斯麻」が鏡を作らせて「男弟王」の長寿を祈ったことが記されています。日本最古の金石文の一つとして名高く、国宝に指定されています。
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