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和歌山の旅と歴史
和歌山の旅    有田郡広川町

広八幡神社
ひろはちまんじんじゃ
和歌山県有田郡広川町上中野206
Tel 0737-62-2371


 広八幡神社は社伝によると欽明天皇(539-571)の時代に創建されたようですが詳しいことはわかりません。もと八幡宮と称し、誉田別命、足仲津彦命、気長足姫命を祀り、広ノ荘の産土神社として繁栄しました。広ノ荘の3分の1を社領としていたようです。
 天正13年(1585)、羽柴秀吉の兵火にかかり、神庫や防舎などが焼失し、荒廃しました。慶長5年(1600)、浅野幸長が藩主になると社領10石を寄せて再興されました。元和5年(1619)には紀州徳川家が入封し、寛永元年(1624)徳川頼宣は社領10石と金灯篭・石灯篭などを寄進しました。
 以後、歴代藩主も厚い保護を与え、繁栄しました。安永5年(1776)には徳川家から原木の寄付や大工棟梁の助力で大規模な修理が行われました。本殿、若宮、高良社、天神社、拝殿、楼門は国指定重要文化財です。舞殿・南紀男山焼・狛犬は県指定文化財で、乙田舞獅子は県指定無形文化財、田楽舞は国選択芸能です。
 明治の神仏分離までは両部の神でした。今ある社殿の外に末社・多宝塔(現在広島市三滝寺に移設し県の文化財指定)、鐘楼(すぐ近くの法蔵寺に移築した国の重要文化財)・西門(安楽寺に移築)、神楽所、観音堂などが建ち並んでいましたが、漸次取り払われました。


広八幡神社本殿(国重文)
 広八幡神社の本殿は檜皮葺きの三間社流造りです。間口3間(5.4m)、奥行向拝あわせて3間半です。野面石の上に円柱をそえて建ち、正側三方に高欄付きの縁側を廻らしています。軒は二軒の繁垂木(しげだるき)で、屋根には箱棟(はこむね)、千木、葛緒木(かつおぎ)を置いています。
広八幡神社本殿
 室町時代中期の社殿で、全体を丹塗りにし、一部に極彩色を施した典雅な建物です。昭和4年(1929)に国の重要文化財に指定されています。付指定の棟札があり、その中で一番古いものは応永22年(1415)の墨書です。それより前の応永20年(1413)頃に建てられたのではないかと思われています。、
広八幡神社本殿

広八幡神社拝殿(国重文)
 広八幡神社の拝殿は間口2間、奥行3間、単層、入母屋造り、妻入、こけら葺きの社殿です。本殿前の傾斜地を利用し、正面を舞台造りにして石段を設けた珍しい造りです。江戸時代時代中期の宝永元年(1704)に建てられています。昭和22年(1947)に国の重要文化財に指定されています。
広八幡神社拝殿

広八幡神社楼門(国重文)
 広八幡神社は楼門は参道正面の石段を登りきった台地に建てられています。入母屋造り、本瓦葺きの三間一戸の楼門です。前方を吹き流しとし、中央1間が通路になっています。後方左右の板壁の区画には随神を安置しています。軒は二軒の繁垂木(しげだるき)で、破風に懸魚(けぎょ)が飾られています。
広八幡神社楼門
 室町時代後期の文明7年(1475)に建てられた門で、元禄年間(1688-1704)に大修理が加えられています。鎌倉時代の楼門建築を踏襲しており、昭和22年(1947)に国の重要文化財に指定されています。
広八幡神社楼門

広八幡神社摂社天神社本殿(国重文)
 広八幡神社の摂社である天神社本殿は本殿の鎮座する神域の向かって左端にあります。檜皮葺きの、一間社隅木入春日造りの社殿で、江戸時代前期の慶安5年(1652)に建てられています。昭和22年(1947)に国の重要文化財に指定されています。
摂社天神社本殿

広八幡神社摂社高良社本殿(国重文)
 広八幡神社の摂社である高良社(こうらしゃ)本殿は本殿に向かって左、天神社本殿の右に鎮座しています。檜皮葺きの、一間社隅木入春日造りの小社です。室町時代後期の文亀2年(1502)に建てられたもので、昭和4年(1929)に国の重要文化財に指定されています。
摂社高良社本殿

広八幡神社摂社若宮社本殿(国重文)
 広八幡神社の摂社である若宮社本殿は本殿に向かって右にあります。檜皮葺きの、一間社隅木入春日造りの小社です。室町時代後期の明応2年(1493)に建てられたもので、昭和4年(1929)に国の重要文化財に指定されています。
摂社若宮社本殿

広八幡神社御輿庫
 広八幡神社の御輿庫(みこしこ)には広川町指定文化財の「四方唐破風御輿(しほうからはふみこし)」が納められています。これは江戸時代の文化3年(1806)に現在の長崎県新上五島町より奉納され、その後平成14年(2002)に修復されたものです。
広八幡神社御輿庫

梧陵濱口君碑
 梧陵濱口君碑は津波から村人を救った広川町の偉人、濱口梧陵の功績を刻んだ碑です。田んぼに火をつけ村民を高台まで誘導し、大勢の命を救い、被災後、私財を投げうって広村堤防を築きました。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が明治30年(1897)に著した「ア・リビング・ゴッド(生ける神)」として世界中に知られました。
梧陵濱口君碑


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