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和歌山の旅
海南市
福勝寺
ふくしょうじ
和歌山県海南市下津町橘本1065
Tel 073-494-0312
岩屋山金剛寿院福勝寺は熊野古道橘本王子の西北の山中にある高野山真言宗のお寺で、古くから修験者の行場となっていました。空海(弘法大師)が開基とされ、本尊の「千手千眼観世音菩薩」は、唐へ渡る直前の空海が安置したといわれています。
福勝寺の末寺である有田市初島町の正善寺の本尊大日如来像の胎内に「庚平5年(1062)」の墨書があることから福勝寺の創建はこれよりかなり前であることが推測できます。本堂内の墨書には「永正9年」(1512)と記され、現在の本堂がその時に再建されたことがわかります。
正保4年(1647)に藩祖・徳川頼宣により寺域を定めた四方書が下付され、慶安3年(1650)には頼宣自身の守り本尊である虚空蔵菩薩を安置するために本堂の隣に求聞持堂を建立しました。鐘楼も同時期に建てられたと思われます。
本堂、求聞持堂は国の重要文化財に指定されています。福勝寺境内は和歌山県指定文化財(熊野参詣道紀伊路)に指定され、滝の裏側にあたる滝壺の奥に行くことができる「裏見の滝」があります。
福勝寺本堂(国重文)
福勝寺本堂は間口3間、奥行3間、寄棟造り、本瓦葺き及び桟瓦葺きの三間堂です。室町時代後期の永正12年(1515)以前、棟札の墨書から「永正9年」(1512)ではないかと思われます。
福勝寺本堂
正面側1間を外陣、その奥を内陣とし、側面三方に切目縁を廻らしています。背面軒下内部は外陣を結界で仕切り、背面壁に接して中央に禅宗様式須弥壇を構えています。平成3年(1991)に国の重要文化財に指定されています。
福勝寺本堂
求聞持堂(国重文)
求聞持堂は間口9.6m、奥行5.2m、寄棟造り、本瓦葺きで、西面は本堂に接続しています。江戸時代前期の慶安3年(1650)に藩主徳川頼宣により建てられた祈祷所です。密教修法施設の江戸時代初期の例として貴重で、平成3年(1991)に国の重要文化財に指定されています。
求聞持堂
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