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和歌山の旅と歴史
和歌山の旅    伊都郡かつらぎ町

丹生都比売神社
にうつひめじんじゃ
和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230
Tel 0736-26-0102

 丹生都比売神社は、高野山の中腹、旧高野山参詣道のほとりにあります。延喜式の名神大社で、紀伊国の一宮です。全国に約180社ある丹生都比売神を祀る神社の総本社で、日本3大厄神の一つとされます。土地の豪族天野祝(あまのはふり)が奉じたことから「天野大社」「天野四所明神」とも呼ばれます。
 丹生都比売神社の本殿は4つあり、第一殿に丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)である丹生明神、第二殿に高野御子大神(たかのみこのおおかみ)である狩場明神、第三殿に大食都比売大神(おおげつひめのおおかみ)である気比明神、第四殿に市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)である厳島明神を祀っています。
 丹生明神と狩場明神は、高野山の2大聖地の一つ、壇上伽藍にある御社(みやしろ)にも祀られています。丹生都比売神社はその本社でもあります。主祭神の丹生明神は、伊勢神宮の神様、天照大御神の妹で、稚日女命(わかひるめのみこと)ともいいます。「わかひるめ」は、「和歌山」の由来になっているそうです。
 「丹」は朱砂の鉱石から採取される朱を意味し、「丹生」は水銀との関わりを示しています。魏志倭人伝には古代邪馬台国に丹の山があったことが記され、その鉱脈のあるところに「丹生」の地名と神社があります。近くにある丹生官省符神社の祭神も同一で由緒も極めてよく似ています。
 第二殿の祭神・高野御子大神は稚日女命の子で、猟師の姿になり空海(弘法大師)を高野山へと導いた神です。空海は、丹生都比売大神より高野山を借受け、山上大伽藍に大神の御社を建て守護神とし、真言密教の総本山高野山を開きました。
 元寇の際には、丹生都比売神社の神威が一躍高まり、公家・武家から多くの寄進を受けました。中世に受けた多くの社領寄進は天正検地において多くは没収されました。近世になり、高野山学侶領から202石が分与されました。
 明治の神仏分離に伴い高野山から独立し、明治6年(1873)に近代社格制度において県社になり、大正13年(1924)に官幣大社に昇格しました。楼門と本殿の第一殿から第四殿までが国の重要文化財に指定されています。


丹生都比売神社本殿(国重文)
 丹生都比売神社の本殿は向かって右から第一殿・第二殿・第三殿・第四殿とあり、左端に摂社の若宮が鎮座しています。第一殿は間口3.47m、奥行3.33mで江戸中期の正徳5年(1715)に再建された社殿です。第二殿は間口3.38m、奥行3.28mで室町時代後期の文明年間(1469-1486)頃に建てられています。
丹生都比売神社本殿
 第三殿は間口3.28m、奥行3.06mで明治34年(1901)に再建された社殿で、第四殿は間口3.24m、奥行3.07mで室町時代後期の文明元年(1469)に建てられています。4棟とも檜皮葺きの一間社春日造りの同じ形の社殿で、昭和40年(1965)に国の重要文化財に指定されています。
丹生都比売神社本殿
 蟇股(かえるまた)、木鼻、懸魚(けぎょ)、虹梁(つなぎこうりょう)などに室町時代の様式を示し、華やかな彩色を残しています。それぞれの殿内には宮殿が残されています。本瓦形板葺きで、一間社春日見世棚造りで、鎌倉時代の徳治元年(1306)の造立です。これら4基も付指定されています。
丹生都比売神社本殿

丹生都比売神社楼門(国重文)
 丹生都比売神社の楼門は間口8.15m、奥行4.75m、檜皮葺きの、三間一戸の入母屋造りです。室町時代中期の明応8年(1499)に建てられています。明治41年(1908)に国の重要文化財に指定されています。
丹生都比売神社楼門
 野面石の上に木製唐様式礎盤を据え、円柱建てに飛貫(とびぬき)を二重に通して頭貫 (かしらぬき)を納め、階下は吹き放しとなっています。腰組には組高欄を設け、軒は二軒の繁垂木(しげだるき)です。屋根の反りが優雅で、朱塗りの彩色が鮮やかな楼門です。
丹生都比売神社楼門

丹生都比売神社境内(国史跡)
 丹生都比売神社境内は社寺の跡、又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡として貴重で、平成14年(2002)に国の史跡に指定されました。また平成16年(2004)には「紀伊山地の霊場と参詣道」の丹生都比売神社境内として世界遺産にも登録されました。
丹生都比売神社境内


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