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和歌山の旅と歴史
和歌山の旅    海草郡紀美野町

野上八幡宮
のがみはちまんぐう
和歌山県海草郡(かいそうぐん)紀美野町(きみのちょう)小畑625
Tel 073-489-2162


 野上八幡宮は貴志川中流域に開けた旧野上町小畑の丘陵南麗にあります。紀美野町は平成18年(2006) に 野上町と美里町が合併してできました。社伝によると欽明天皇の時に応神天皇を祀ったのが野上八幡宮の始まりと記されています。
 永延元年(987)石清水八幡宮の社列に準じ、万寿2年(1025)、勅命で阿波の国司が本殿や諸殿を造営したといわれています。紀伊国の大社の一つとして隆盛を極めましたが、天文10年(1541)に根来寺衆徒の焼き討ちで諸堂は焼失してしまいました。
 弘治3年(1557)に本殿と平野今木神社の再建に着手し、永禄年間(1557-1570)から元亀年間(1570-1573)にかけ本願寺の僧真賢らのよって再興され、天正年間(1573-1592)には、他の社殿も次々と再建されました。
 天正13年(1585)、紀州征伐を終えた豊臣秀吉によって社領が没収されました。慶長6年(1601)、浅野長政は社領3石を寄進、鳥居や神輿を奉納、放生会などの神事を復興させました。元和5年(1619)に紀州藩主・徳川頼宣により社領が安堵されました。
 明治2年(1869)の神仏分離令により境内から本願寺、神宮寺、不動堂、本地堂が撤去されました。本殿、拝殿、摂社武内神社本殿、摂社平野今木神社本殿、摂社高良玉垂神社本殿は国の重要文化財に指定されています。また絵馬殿は和歌山県の有形文化財に指定されています。

野上八幡宮本殿(国重文)
 野上八幡宮の本殿は乱積みにした緑泥片岩の基壇の上に建てられています。檜皮葺きの三間社流造りの社殿で、室町時代後期の元亀3年(1572)に再建された建物です。昭和19年(1944)に国の重要文化財に指定されています。
野上八幡宮本殿
 本殿の屋根には勝男木(かつおぎ)千木(ちぎ)が置かれています。後方2間が内陣で、前方1間(1.8m)を向拝としています。背面と、向かって右側面に低い長板縁を設けた珍しい構造です。正面3間は板扉、他の三方は横板壁です。箱入りの棟札も付指定になっています。
野上八幡宮本殿

野上八幡宮拝殿(国重文)
 野上八幡宮の拝殿は間口5間、奥行4間、単層、入母屋造り、本瓦葺きの社殿です。正側面3方の1間を吹流しの広縁として、他の中央を拝所としています。棟札から桃山時代の天正元年(1573)に再建されたことがわかります。昭和19年(1944)に国の重要文化財に指定されています。
野上八幡宮拝殿

野上八幡宮摂社平野今木神社本殿(国重文)
 野上八幡宮の摂社である平野今木(ひらのいまき)神社の本殿は檜皮葺きの三間社流造りの社殿で、室町時代後期の元亀3年(1572)に再建された建物です。昭和19年(1944)に国の重要文化財に指定されています。
摂社平野今木神社本殿
 正面3間が5.09m、奥行向拝とも5.12m、軒2軒繁垂木(しげだるき)で、三方に組高欄付きの縁側を廻らしています。向拝蟇股(かえるまた)に施されている雲に竜、竹に虎、牡丹に獅子などの彫刻は江戸時代に多い形式ですが、太瓶束(たいへいづか)の足元飾りの意匠は珍しいものです。
摂社平野今木神社本殿

野上八幡宮摂社高良玉垂神社本殿(国重文)
 野上八幡宮の摂社である高良玉垂(こうらたまだれ)神社本殿はとち葺きの一間社(間口1.05m、奥行向拝とも1.67m)流造りの小祠です。身舎(もや)は緑泥片岩の礎石上に土台を据えて建ち、向拝には浜縁を設けています。天正6年(1578)に建てられた建物で、昭和19年(1944)に国の重要文化財に指定されています。
摂社高良玉垂神社本殿

野上八幡宮絵馬殿
 野上八幡宮の絵馬殿は単層木造で、切妻造り妻入、本瓦葺きです。桃山時代に建てられています。元々は舞台でしたが、江戸時代中期に雅楽が絶えたため床を取り除いて絵馬殿となったそうです。絵馬殿は和歌山県の有形文化財に指定されています。
野上八幡宮絵馬殿


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