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和歌山の旅と歴史
和歌山の旅    紀の川市

紀伊国分寺跡
きいこくぶんじあと
和歌山県紀の川市東国分682


 紀伊国分寺は、紀の川市(旧打田町)東国分にある聖武天皇の発願で鎮護国家を目的に建てた官寺である国分寺の一つです。正式には八光山醫王院国分寺です。
 天平13年(741)、聖武天皇の国分寺建立の詔により、造営が開始され、天平勝宝8年(756)には主要伽藍が完成したようです。紀伊国では国分寺がここ旧打田町に、国分尼寺は岩出市に造営されました。
 元慶3年(879)火災で伽藍が全焼し、金堂と僧坊だけが再建され、14世紀初めに本堂が講堂跡に再建され、根来寺の末寺になりました。天正13年(1585)の紀州征伐で根来寺とともに焼き討ちされ、伽藍は再び焼失しましたが、元禄年間に本堂は再建されました。
 現存しているのは本堂だけですが、七重塔の緑泥片岩製の心礎を始め、金堂、講堂、僧房、鐘楼、軒廊の瓦積み基壇、柱跡も確認され、紀伊国分寺跡として昭和3年(1928)に国の史跡に指定されています。本堂は紀の川市の有形文化財に指定されています。


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