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和歌山の旅と歴史
和歌山の旅    伊都郡高野町高野山

金剛峯寺
こんごうぶじ
和歌山県伊都郡高野町高野山132
Tel 0736-56-2011


 金剛峯寺は全国3600寺に及ぶ高野山真言宗の総本山です。ここで1年交代で弘法大師の身代わりを勤める検校法印の就任式や法印転衣式などの重要な行事が執り行なわれます。
 金剛峯寺の名称はもとは高野山一山の総称でした。弘法大師が「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経」という経典に因んで名付けたと伝えられています。現在の金剛峯寺は江戸時代までは青巌寺と称していました
 文禄2年(1593)豊臣秀吉は母・大政所の菩提を弔うため、木食応其に命じてここに寺を建立しました。大政所の遺髪を納めたことから剃髪寺と名付けられましたが、後に青厳寺と改称しました。豊臣秀次が自害した場所としても知られています。現在の建物は文久3年(1863)に再建されたものです。
 明治になり行政官の指導により青厳寺を金剛峯寺と改めました。そして隣接する興山寺を合併して高野山の本坊・宗務の中心となりました。山門を入ると檜皮葺きの大屋根の大主殿があります。東西54m、南北63mの高野山最大の木造建築です。
 大広間では重要な法要が営まれ、持仏間には本尊・弘法大師の両脇に歴代天皇の位牌や歴代座主の位牌が奉安されています。

金剛峯寺境内(国史跡)
 金剛峯寺の境内は、社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡として、昭和52年(1977)に国の史跡に指定されています。大主殿を中心に別殿、新別殿、奥殿、新書院、経蔵、鐘楼、護摩堂、山門などが建ち並び、高野山・壇上伽藍も金剛峯寺の所有となっています。
金剛峯寺境内

金剛峯寺鐘楼(六時の鐘)
 金剛峯寺の入口にある鐘楼には、福島正則が父母の追福菩提を祈って、元和4年(1618)に建立された六時の鐘があります。寛永7年(1640)に、正則の子、正利によって再鋳されました。その鐘銘がかなまじり文であることで有名です。明け六つ(午前6時)から2時間おきに時刻を報じるそうです。
金剛峯寺鐘楼


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