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和歌山の旅と歴史
和歌山の旅    伊都郡高野町高野山

高野山の塔頭寺院
こうやさんのたっちゅうじいん
和歌山県伊都郡高野町高野山


 宥快や長覚など著名な学僧を輩出した宝寿院(ほうじゅいん)です。教学の興隆をもたらした高野山の二大門主寺院であった宝性院(宝門)と無量寿院(寿門)が大正2年(1913)に一緒になった学問寺院です。院内には真言宗の僧となるための修行道場(専修学院)があります。
宝寿院
 正智院(しょうちいん)は永久年間(1113-1117)に学僧教覚正智坊によって開基されました。ここの中興の道範大徳は高野八傑の1人です。筑前の黒田家、薩摩の島津家などの信頼が厚く、国宝文館詞林、不動明王、五鈷鈴その他一仏像、仏画、典籍などを多数所蔵しています。 
正智院
 宝城院(ほうじょういん)は保延年間(1133-1141)に琳賢によって創建されました。仁安4年(1169)後白河上皇の高野山参詣の際、勅命で阿砂梨を置いた六ケ寺の一つです。成仏院というお寺でしたが寛永9年(1632)復興させた朝栄により宝城院と改号されました。江戸時代には閑院宮家、丹波笹山藩松平家の菩提所として壇契関係を結んでいました。
宝城院
 西禅院(さいぜんいん)は親鸞上人が修行された古跡坊です。明寂上人が最禅院を創建しました。永久3年(1115)火災によって焼失しました。そののち泉勝阿闍梨によって現在の地に移され、西禅院と改号されたそうです。
西禅院
 龍光院(りゅうこういん)は高野山真言宗の別格本山です。平安時代後期の僧明算が入って龍光院と号したそうです。かつては多くの寺領・末寺を有していたそうです。平安時代後期の絹本著色伝船中湧現観音像や聖武天皇が各地の国分寺に安置させた「国分寺経」の遺品である紫紙金字金光明最勝王経などの国宝や重文など寺宝も豊富です。
龍光院
 親王院(しんのういん)は平城天皇の第三皇子真如親王の開基です。親王は嵯峨天皇の皇太子になりましたが薬子の変に連座して仏門に入りました。弘法大師十大弟子の一人になり、多くの人々に尊拝されています。本尊不動明王は、智証大師の作として国の重要文化財に指定されています。
親王院
 総持院(そうじいん)は高野山の第28世であり、中院流総持院方の祖である総持房行恵が久安年間(平安時代)に開いた古刹です。肥後国の細川氏、松井氏、相良氏、備後国の土方氏の各大名家の菩提寺としても信仰を集めました。
総持院
 常喜院(じょうきいん)は弘法大師の第一高弟の実恵上人の開基です。その後保元元年(1156)心覚阿闍梨が再興しました。現在の建物は明治3年(1870)再建されたものです。九州、日向の城主伊東家、近江の朽木家などの大名が大檀主として名を連ねています。
常喜院
 高野山大師教会は高野山真言宗の布教、御詠歌、宗教舞踊等の総本部で、各種研修会や講習会が開催されています。大講堂は大正14年(1925)、高野山開創1100年記念として建立され、本尊には弘法大師、脇仏に愛染明王と不動明王が奉安されています。
大師教会
 増福院(ぞうふくいん)は谷崎潤一郎の著「覚海大徳の昇天」でモデルになったお寺です。清和天皇の時代に、土岐山城守の長子以空上人が入寺して中興させました。鎌倉時代には覚海大徳が高野一山の宗学を振興し、弘法大師に祈って自己の七生の流転を知り、天狗と化して昇天した事が伝承されています。
増福院
 蓮華定院(れんげじょういん)は信州上田の真田家と縁の深いお寺です。門に掲げられた提灯には六文銭の家紋が浮かび上がっています。真田家の菩提寺にもなっていて、ふすまの取っ手や、法具など、様々なところに六文銭が使われています。真田幸村の蟄居していた間もあります。
蓮華定院
 昌幸が秀吉から拝領した豊臣秀吉像、昌幸使用の南蛮鉄兜、幸村の焼酎を請う書状など真田家ゆかりの寺宝を多く所蔵しています。興山上人が豊臣秀頼より寄進を受けた、国広銘の剣は国の重要文化財に指定されています。
蓮華定院
 遍照光院(へんじょうこういん)は白河上皇様の御座所として有名です。御門は、京都御所の建春門と同じ型式をとったもので、高野山でも特に格式の高い山門です。本堂には重文指定の快慶作の阿弥陀像です。国宝、重文など多くの寺宝を所蔵しています。
遍照光院
 西室院(にしむろいん)は弘法大師が創建しました。秘仏の本尊は伝弘法大師作の児不動明王です。合祀されている多聞院本尊毘沙門天像は国の重要文化財に指定されています。また髄心院本尊薬師如来は弘法大師作と伝えられています。三基の五輪塔は源頼朝、頼家、実朝の供養塔です。
西室院
 南院(なんいん)は東大寺の南院に住していた、子島真興僧都が建立しました。本尊浪切(なみきり)不動明王(重文)は、空海が唐から帰国の際、荒波を鎮めたという伝承をもっています。初め伽藍山王院に安置されていましたが、南院住職維範(いはん)大徳の時(平安時代)にここに移されたそうです。全国にある浪切不動尊の総本家が、この浪切不動明尊ということになります。
南院
 本覚院(ほんがくいん)は平安時代の建久年間(1190-1198)に行空上人が創建しました。上人は有名な歌人である待宵小侍従の願によって登山して開いたそうです。文人との関わりも多く、江戸初期には狩野探幽が滞在し名画を残しました。伏見宮家菩提所であり、尾張徳川家、臼杵稲葉家、大洲加藤家、岸和田岡部家など帰依を受けてきました。
本覚院


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