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和歌山の旅と歴史
和歌山の旅    和歌山市

日前・國懸神宮
ひのくまくにかかすじんぐう
和歌山県和歌山市秋月365
Tel 073-471-3730


 日前・國懸神宮は日前宮(にちぜんぐう)駅のすぐ北にあります。昔から紀伊国の一宮として崇敬され、現在も県下第一の大社です。日前神宮と國懸神宮が同じ境内の中に隣あって鎮座しています。両宮を一括して日前宮(にちぜんぐう)と通称されています。
 御手洗池の橋を渡り鳥居をくぐると参道は左右二手に分かれます。左に行くと日前神宮、右へ行くと國懸神宮です。日前神宮は日前大神を、國懸神宮は國懸大神を祭神とし、御霊代(みたましろ)として、前者は日像鏡(ひがたのかがみ)、後者が日矛鏡(ひほこのかがみ)を祀っています
 日本で最も歴史のある神社の一つで、神話と関わりが深い歴史を持っています。日前大神は天照大神の別名でもあり、朝廷は神階を贈らない別格の社として尊崇しました。神位を授けられることがなかったのは伊勢神宮のほかに日前・國懸両神宮だけなのです。
 両社の起源は古く、日本書紀によれば神武天皇の時、勅命で、紀伊国造(くにのみやつこ)天道根命(あめのみちねのみこと)が名草郡の浜の宮に宝鏡を祀ったのが始まりといわれ、垂仁天皇16年に国造大名草彦命(おおなぐさひこのみこと)が現在地に遷座したと伝えられています。
 以来、歴代天皇の尊崇を集めて栄えました。天正13年(1585)、羽柴秀吉の兵火にかかり荒廃しました。その後、浅野幸長により復興し、寛永4年(1627)には紀州藩初代藩主・徳川頼宣により社領が寄進され、社殿が再建されました。
 明治4年(1871)、近代社格制度において両宮ともに官幣大社に列せられました。大正15年(1926)、国費による改善工事により、現在の左右対称の姿となりました。境内は最盛期の5分の1とはいえ広大で、両宮社殿、権殿、神饌所、社務所が建てられています。


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