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和歌山の旅と歴史
和歌山の旅    和歌山市

紀州東照宮
きしゅうとうしょうぐう
和歌山県和歌山市和歌浦西2ー1ー20
Tel 073-444-0808


 和歌山の東照宮は和歌浦港の北方、権現山の中腹にあります。石灯籠のつづく参道には青石が敷きつめられ、侍坂とよばれる108段の急な石段を登り楼門をくぐると、朱塗りと白壁の鮮やかな本殿が現れます。
 紀州藩祖の徳川頼宣(よりのぶ)は元和5年(1619)に紀州に入り、同7年(1621)に父である家康を祀るため、この東照宮を創建しました。初めは東照大権現と称しましたが、正保2年(1645)、日光山大権現の改称にともない現社名に改めています。
 境内は権現山を含む約6万平方mの広大な地で、日光東照宮と同様、本殿と拝殿及びこれらを繋ぐ石貼り床の石の間からなる権現造りです。彫刻・極彩色・漆塗りなどの装飾が施された絢爛豪華な社殿で、左甚五郎の緋鯉真鯉の彫刻や狩野探幽の壁画なども残されています。
 朱塗りの楼門をはじめ、本殿、石の間、拝殿、唐門、東西廻廊、東西瑞垣などが国の重要文化財に指定されています。また徳川家康が所用した南蛮胴具足や太刀、歴代藩主の奉納した刀剣、甲冑、装束など、多くの文化財を保有しています。


東照宮楼門(国重文)
 東照宮の楼門は本瓦葺き、入母屋造りの三間一戸の楼門です。江戸時代前期の元和7年(1621)に徳川頼宣により建てられました。丹塗(にぬり)、平彩色(ひらざいしき)の姿形の整った建物で、両脇には構造を別とする東西回廊が建っています。楼門は昭和40年(1965)に国の重要文化財に指定されています。
東照宮楼門

東照宮拝殿(国重文)
 東照宮拝殿は間口5間、奥行2間、単層、入母屋造り、檜皮葺きで、3間の向拝があり、正面には千鳥破風が付いています。蟇股(かえるまた)、海老虹梁(えびこうりょう)、桁隠(けたかくし)など、随所に巧麗な手法がみられます。元和7年(1621)に頼宣により建てられています。大正5年(1916)に国の重要文化財に指定されています。
東照宮拝殿

東照宮石の間(国重文)
 東照宮の石の間は本殿と拝殿の間にある石貼り床の建物です。間口3間、奥行1間、単層、入母屋造り、檜皮葺きです。江戸時代前期の元和7年(1621)に徳川頼宣により建てられています。内外も本殿と同じく、極彩色や彫刻を多く施した豪華な社殿です。大正5年(1916)に国の重要文化財に指定されています。
東照宮石の間

東照宮本殿(国重文)
 東照宮の本殿は間口3間、奥行3間、単層、入母屋造り、檜皮葺きの建物で、勾欄と廻縁を廻らしています。権現造りで拝殿、石の間と繋がっています。折上格天井には金具が付けられ、全面に極彩色模様を施し、蟇股、木鼻、桁隠などにも精巧な意匠をこらしています。元和7年(1621)に頼宣により建てられ、大正5年(1916)に国の重要文化財に指定されています。
東照宮本殿

東照宮唐門(国重文)
 東照宮の唐門は檜皮葺きの、棧唐戸両開き、四脚平唐門です。江戸時代前期の元和7年(1621)に徳川頼宣により建てられています。大正5年(1916)に国の重要文化財に指定されています。
東照宮唐門

東照宮瑞垣(東西)(国重文)
 東照宮の瑞垣(みずがき)は東側は檜皮葺きの、折曲り延長23間(約40m)、西側は檜皮葺きの、掖門を含め折曲り延長22間です。東西ともに江戸時代前期の元和7年(1621)に徳川頼宣により建てられ、大正5年(1916)に国の重要文化財に指定されています。
東照宮瑞垣

東西廻廊(東西)(国重文)
 東照宮の廻廊(かいろう)は東側、西側ともに間口3間、奥行2間、単層、切妻造り、本瓦葺きです。東西廻廊は構造は違っており、楼門の両脇に繋がっています。東西ともに江戸時代前期の元和7年(1621)に徳川頼宣により建てられています。昭和40年(1965)に東西ともに国の重要文化財に指定されています。
東照宮廻廊


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