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和歌山の旅と歴史
和歌山の旅    日高郡由良町

興国寺
こうこくじ
和歌山県日高郡由良町門前801
Tel 0738-65-0154


 鷲峰山(しゅうほうざん)興国寺は臨済宗妙心寺派のお寺で、元法燈(ほっとう)派の根本道場でした。建保7年(1219)、鎌倉2代将軍・源実朝(さねとも)の家臣であった葛山景倫(かずらやまかげとも)が、主君の菩提を弔うために建立したものです。
 景倫は主君の死後、高野山の金剛三味院に入住して、僧となり名を願生(がんしょう)としました。実朝の母である北条政子はその志に感じ由良荘を与えました。安貞元年(1227)、願生は興国寺の前身である西方寺(さいほうじ)をここに創建しました。
 願生は入宋する心地覚心(しんちかくしん)(のちの法燈国師)に、実朝の遺志により宋の雁蕩山(かんとうさん)に分骨を納めるように頼みました。法燈国師はこの約束を果たし、帰国後の正嘉2年(1258)願生に招かれて西方寺に入り、後村上天皇から興国寺号を賜り寺名を変えました。
 興国寺は壮大な堂塔伽藍を営み、孤峰覚明(こほうかくみよう)、高山慈照など禅僧を輩出し、法燈派の中心道場として繁栄しました。天正13年(1585)、羽柴秀吉の南征で荒廃しましたが、慶長6年(1601)、領主・浅野幸長が龍源寺の住職天叔に命じて復興させました。
 境内には仏殿、開山堂、方丈、庫裏、書院、地蔵堂、奥の院、大門、山門、鐘楼などが建ち並び、源実朝の供養塔である石造宝篋印塔もあります。寺宝の木造法燈国師坐像、絹本著色法燈国師像、紙本墨書誓度院規式などは鎌倉時代の作品で国の重要文化財に指定されています。


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