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広島の旅と歴史
広島の旅    広島市

不動院
ふどういん
広島県広島市東区牛田新町3−4−9
Tel 082-221-6923


 新日山不動院は、真言宗別格本山のお寺です。14世紀中頃に足利尊氏・直義兄弟が南北朝の戦乱で戦死した武将たちの霊を慰めるために、全国60余カ所に建立した安国寺の一つです。不動院は安芸の国に建てられたことから「安芸安国寺」と呼ばれていました。
 安芸国の守護武田氏の菩提寺として繁栄しました。戦国時代には戦火により伽藍が焼失し、武田氏も滅亡しました。これを再興したのが毛利氏の外交僧・安国寺恵瓊でした。
 恵瓊は毛利氏の使僧として活躍し、豊臣秀吉からも厚い信任を得て直臣大名にもなっていました。天下人となった秀吉は恵瓊が住持を務める安国寺に寺領として1万1500百石を与えました。この石高寺領は当時の中央社寺に比較して破格でした。
 恵瓊は安国寺の伽藍復興に努め、金堂、楼門、鐘楼、方丈、塔頭12院などを復興整備し、中央の大社寺にもひけをとらない寺にしました。寺運は隆盛を極めましたが、関が原の合戦で西軍に組したことで、恵瓊は処刑され、 毛利氏も防長2国に国替となりました。
 福島正則が芸備両国49万石の大名として入封し、恵瓊亡きあとの安国寺には、福島正則の祈祷師であった宥珍が入りました。宗派を禅宗から真言宗に改め、不動明王を本尊とし不動院と改称しました。
 正則の治世は20年足らずで終り、後に浅野氏が広島に入封しました。不動院は浅野家の菩提寺になり歴代藩主の保護を受け明治に至りました。昭和20年(1945)の原子爆弾投下に際しても山麓という地理的条件が幸いして災禍を免れ、金堂は国宝に、楼門、鐘楼堂は国の重要文化財に指定されています。

 不動院の金堂は天井の墨書から天文9年(1540)の建築と判明しています。広島市内に現存する唯一の国宝です。大内義隆が天正年間(1573−1592)、周防山口に建てた禅宗寺院・凌雲寺を安国寺恵瓊が移築し、仏殿にしたと伝えられています。
不動院金堂
 金堂は桁行3間(15.5m)、梁間4間(16.8m)、1重裳階付、入母屋造り、こけら葺きの建物です。現存する中世禅宗様の仏殿としてはわが国最大級で、正面1間通りを吹き放しとした珍しい構造は、大陸的な禅宗様(唐様)の正式の手法と考えられています。
不動院金堂
 不動院の楼門は上層・下層境にも軒の張り出しをつくる「二重門」です。上層の尾椎に「朝鮮木文禄三」の刻銘があり、文禄3年(1594)に文禄の役に従軍した恵瓊が、朝鮮から良材を持ちかえり建立したものと考えられています。
不動院楼門
 楼門は3間1戸、2階2重門、入母屋造り、本瓦葺きです。金堂指定と同年の昭和33年(1958)に国の重要文化財に指定されています。金堂と同じく禅宗様の建物です。中央を通路として、前方の両脇に仁王を安置し、後方は吹放しとしています。上層には十六羅漢像が安置されています。
不動院楼門
 不動院の鐘楼は間斗束(けんとづか)の裏に記された墨書きにより永亨5年(1433)に建立されています。不動院の建物の中でも最も古いものです。細部の造りを見ると、和様の三手先(みてさき)の組物を用いる一方で、すみ木に禅宗様の手法をとり入れるなど、和様、禅宗様を組み合わせた珍しい意匠が見られます。全体としても、各部の均整がうまくとれた、美しい建物です。
不動院鐘楼
 鐘楼は桁行3間、梁間2間、重層袴腰付屋根、入母屋造り、こけら葺きの建物で、昭和27年(1950)に国の重要文化財に指定されています。内部に恵瓊が朝鮮から持ち帰ったという高さ1.6m、直径65cmの朝鮮初期の梵鐘を納めています。四面の天女の文様が美しく蓮華の中に菩薩の座像があり、信相菩薩の銘が刻まれています。これも銅製梵鐘として明治32年(1899)に国の重要文化財に指定されています。
不動院鐘楼
 不動院には豊臣秀吉の遺髪の五輪塔墓や武田刑部の五輪塔墓、福島正則の宝篋院塔、安国寺恵瓊の無縫塔墓などがあります。恵瓊は関ヶ原の戦いでは西軍に付いたため、京都の建仁寺に潜んでるところを捕らえられ、京都六条河原で斬首されました。
不動院福島正則墓


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