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広島の旅と歴史
広島の旅    尾道市

因島水軍城
いんのしますいぐんじょう
広島市尾道市因島中庄町3228-2
Tel 0845-24-0936
 金蓮寺の右手にある小高い丘の上に建つ国内唯一の水軍城です。昭和58年に歴史家の奈良本辰也氏の監修で建てられました。丘の上に本丸、二の丸、隅櫓の三棟が蘇りました。
 本丸は水軍資料館として小早川隆景から拝領した甲冑や武具などの歴史資料を展示しています。隅櫓は展望台と船の資料館になっています。
 因島は室町時代から戦国時代を通して活躍した村上水軍の拠点として知られています。村上水軍には「因島村上」「能島村上」「来島村上」の三家があったそうです。
 南北朝から戦国にかけては、村上水軍の威勢は大いにふるい布刈瀬戸(めかりせと)と尾道水道をおさえ、ここを通る船から帆別銭(通行税)を取ったのでした。
 八幡大菩薩の旗をかかげ朝鮮、中国から遠く東南アジアまで航海・貿易と水軍の三位で押し渡り、「倭寇(わこう)」の名を海外にとどろかせました。
 村上水軍は南朝の後醍醐天皇の懐良親王を助けた村上義弘が頭角を現し基盤を確立したと伝えられています。
 本丸の水軍資料館には、純金家紋付鉄錆地色具足、村上家相伝の由緒ある白紫緋色段縅腹巻などの武具や村上家伝来の古文書を展示しています。
 また重要美術品の大塔官令旨や源平合戦屏風、金蓮寺在銘瓦などもあります。水軍史がわかる水軍船の模型も復元され、水軍旗なども展示されています。
 村上水軍が最大に勢力を拡大した頃は、西は山口の上関、東は香川の塩飽諸島とほぼ瀬戸内海全域を制海したといわれています。
 能島村上家の村上武吉は毛利家の家臣となったそうです。織田水軍(九鬼)と2度戦いましたが、2度目の戦いで織田水軍が仕立てた鉄甲船の前に大敗し、次第に勢力を弱めていったそうです。
 豊臣秀吉は海上の権力を警戒し海賊禁止令を出しました。村上武吉は毛利家を頼って山口の屋代島に移っていったそうです。
 フルーツの島といわれるだけあってみかん畑が広がっていました。ハッサクは因島が原産だそうです。幕末に発見された突然変異種で、年間生産量3千トンは、県内の3分の1強を占めるそうです。


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