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岡山の旅と歴史
岡山の旅       加賀郡吉備中央町

妙本寺
みょうほんじ
岡山県加賀郡吉備中央町北1501
Tel 0866-55-5012


 具足山妙本寺は日蓮宗のお寺で、「西身延(にしみのぶ)」と呼ばれ西国布教の拠点となっていました。平成25年(2013)に日蓮宗から「西国弘通最初の法華道場」として宗門史跡の指定を受けています。
 野山庄の領主であった伊達弾正朝義(ともよし)が弘安4年(1281)に創建したといわれています。朝義は鎌倉の武士でしたが、龍ノ口法難を目の当たりにし日蓮に帰依したため左遷されてこの地の地頭として赴任したそうです。
 龍ノ口法難とは「立正安国論」を著して鎌倉幕府に呈上した日蓮を捕らえ斬首しようとした事件です。文永8年(1272)、あわや斬首の瞬間、江ノ島の方から満月のような光ものが飛んできて、首斬り役人は目がくらんで倒れ、斬首の刑が中止となったということです。
 京都妙顕寺2世の大覚大僧正は妙本寺に長くとどまり、三備(備前・備中・備後)・美作の各地はもとより、西国に布教を広げ、備前法華といわれる基礎を築きました。

 南北朝から戦国時代にかけて兵火などで伽藍は荒れ、衰退しました。明応5年(1496)、妙本寺7世の日具は卜部兼倶(うらべかねとも)と三十番神問答をしました。答釈に感嘆した兼倶は番神堂を寄進したそうです。これが国の重要文化財に指定されています。
 卜部兼倶は吉田兼倶ともいい、唯一神道の吉田神道を創始し、足利義政の知遇を受けました。神祇伯(じんぎはく)白川家と対抗して神職界に勢力を伸ばし、全国の神社を支配するほど勢威を振るったといわれています。
 妙本寺は寺全域が史跡として吉備中央町の重要文化財に指定されています。本堂と、妙本寺墳墓遺跡として出土壷37個が岡山県の重要文化財に指定されています。

 妙本寺番神堂は三十番神を祀るため、鎮守堂とも呼ばれています。三十番神は、1日交代で仏を守る30人の神のことをいいます。弘安4年(1281)に卜部兼倶の寄進により京都の工匠たちの手で建立されました。当初は重層の入母屋造り、茅葺きでしたが荒廃時期に大破したそうです。その後、天正11年(1583)に再建されました。
妙本寺番神堂
 幕末に改修され、屋根は宝型造りとなっていましたが、平成元年(1989)から3年かけて解体修理を行い、従前の入母屋造りに復しています。昭和2年(1927)に国の重要文化財に指定されています。
妙本寺番神堂
 妙本寺番神堂はそれほど大きくはありませんが、柿葺きの一間社流造りで正面に唐破風造りの向拝を付けています。彫刻と粉彩に装飾され、細部に優れた桃山芸術の粋を集めています。
妙本寺番神堂

 妙本寺本堂は建治元年(1275)に建立されたようですが、衰退した時期に荒れ果て、天正11年(1583)に再建された堂宇です。柿葺きで、間口5間、奥行5間の単層入母屋造りです。室町時代の建築様式を残しており、昭和31年(1956)岡山県の重要文化財に指定されています。
妙本寺本堂


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