あなたは 番目の訪問者です。(ogino作成共通カウント)
直線上に配置
岡山の旅と歴史
岡山の旅       久米郡久米南町

誕生寺
たんじょうじ
岡山県久米郡久米南町里方808
Tel 086-728-2102


 栃社山(とちこそさん)誕生寺は法然上人の生まれた所に建てられた浄土宗のお寺です。元禄8年(1695)に再建された本堂の御影堂と、正徳5年(1716)建立の山門は国の重要文化財に指定されています。
 源平一ノ谷の合戦で平敦盛を討取った熊谷次郎直実は、その後、人の世の無常を感じ、法然上人の弟子となり、出家して法力房蓮生(れんせい)となりました。そして建久4年(1193)、この地に誕生律寺を創建したのでした。
 法然上人の親はこの地方の監督である久米押領使(おうりょうし)をしていた漆間時国(うるまときくに)で、ここに屋敷を構えていました。法然上人は長承2年(1133)ここで生まれ勢至丸(せいしまる)と名付けられました。
 保延7年(1141)、漆間家は、稲岡庄の預所の職にあった明石源内武者定明(むしゃさだあきら)の夜襲を受けました。父の時国は深手を負って命を落とし、一家は離散し、勢至丸は菩提寺に預けられました。
 父の時国は、死に際に勢至丸に武者定明を仇として追わず、仏道を歩んで、安らぎの世を求めよと遺言しています。誕生寺は浄土宗の宗祖ゆかりの寺として崇敬を集め、広大な寺域に多くの堂宇が建ち並び繁栄しました。

 誕生寺の本堂である御影堂は2度の損壊の後、元禄8年(1695)に再建された建物で、国の重要文化財に指定されています。屋根が老朽化したため平成10年(1998)に修築工事が施されています。
誕生寺御影堂
 本尊は本尊は圓光大師です。これは法然上人の像で、没後に朝廷から贈られた大師号です。法然上人自体が刻んだ像で、法力房蓮生が上人61才の時、師の命により上人の御両親の墓前に安置されたものだそうです。
誕生寺御影堂
 御影堂は間口5間、奥行4間、2重、入母屋造り、本瓦葺きで、嘉永4年(1851)に増築された唐破風向拝が付いています。浄土宗の仏堂型本堂の中で側回りを円柱・三斗組とした最も本格的なもので、建築史的にも貴重な建物です。
誕生寺御影堂

 誕生寺の山門は3間1戸の薬医門です。切妻造り、本瓦葺きで、正徳5年(1716)に建てられた門です。昭和55年(1980)に国の重要文化財に指定されています。
誕生寺山門

 誕生寺の山門に付帯している筋塀は安政4年(1857)伏見宮家より寄進されたものです。
誕生寺山門

 両親の御廟所である勢至堂の脇に石造宝篋印塔があります。南北朝時代に造られたもので、岡山県の重要文化財に指定されています。塔身は金剛界四仏を刻んでいますが、正面に阿弥陀如来を刻んでいます。本山寺の宝篋印塔とよく似た感じです。
誕生寺石造宝篋印塔

 本堂の左手裏側に石造五輪塔があります。両幡の椋と南無阿弥陀佛と刻まれた石碑の間にあり、応永32年(1425)に造られたものです。高さ123cmで、四面の各輪に五輪塔四門の梵字が刻まれ、美作守護職であった赤松義則(1358-1427)が願主として造ったものといわれています。岡山県の重要文化財に指定されています。
誕生寺石造五輪塔

 長承2年(1133)4月7日、法然上人が生まれたとき、どこからともなく、2本の白い幡(はた)が風に乗って飛来し、大きな椋の木にかかり、7日間風にはためいたそうです。そしてどこかに飛び去ったとの事です。このことから、この椋の木は「両幡の椋(ふたはたのむく)」といわれています。
誕生寺両幡の椋

 誕生寺の山門をくぐると逆木の公孫樹(さかきのいちょう)と呼ばれる大きないちょうの木があります。久安3年(1147)15歳の勢至丸(後の法然上人)が、比叡山に旅立つ時、菩提寺より杖とされた銀杏の枝をここにさしたところ成長してこのような大きな木になったということです。岡山県天然記念物に指定されています。
逆木の公孫樹

 誕生寺の勢至堂(せいしどう)は法然上人の父親である漆間時国と母親の秦氏の霊廟です。法然の幼名の勢至丸からこの名がつけられたそうです。
誕生寺勢至堂

 勢至堂の近くに法然上人産湯の井戸があります。勢至丸(後の法然上人)は長承2年(1133)ここで生まれ、この産湯につかったそうです。長く子宝に恵まれなかった時国夫婦は、長承元年(1132)に子が授かるように本山寺に参詣しています。
法然上人産湯の井戸

 森大膳亮重政と大野木殿の墓が勢至堂の近くにあります。森大膳亮重政は「大膳さま」と呼ばれた津山藩主森忠政の長男です。文禄2年(1593)に金山で生まれ、元和4年(1618)この地にて病死したそうです。大野木殿は柴田勝家の娘で森忠政の養母で「御母公さま」と呼ばれ、厚遇されたそうです。
森大膳・大野木殿墓

 誕生寺の観音堂は寛永8年(1631)に津山藩主森忠政が養母の大野木殿のために建立した生光院御霊屋だった建物です。大野木殿が生前崇拝した弥陀如来立像と、位牌が安置されています。
誕生寺観音堂

 誕生寺の娑婆堂は山門より300mぐらい手前にあります。ここで二十五菩薩練供養が毎年4月第3日曜日に行われています。正しくは「法然上人御両親御追恩二十五菩薩天童迎接練供養会式大法要」といい、日本三大練供養の一つに数え上げられています。
誕生寺娑婆堂
 現世にたとえて、本堂を出発した25菩薩が天童(お稚児さん)を従えて娑婆堂まで往復し、法然上人のご両親を浄土へお迎えするという厳粛な儀式です。室町時代より続いているといわれ、岡山県の重要無形民俗文化財に指定されています。
誕生寺娑婆堂


岡山県トップページへ 旅と歴史トップページへ


直線上に配置

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送