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岡山の旅と歴史
岡山の旅    総社市

備中国分寺
びっちゅうこくぶんじ
岡山県総社市上林1046


 天平13年(741)、聖武天皇が仏の力で外敵や災害、疫病などの災いから国を守るため、全国に僧寺や尼寺を建てるように詔を出しました。備中国分寺もこの時に建てられました。堂宇は市南部のアカマツにつつまれた丘陵地のほぼ中心部に建っています。
 創建当初の堂宇は南北朝時代に焼失したと伝えられています。国分寺跡は現在の国分寺境内と重複しています。寺域は東西160m・南北180mです。出土した土器などから中世初期まで存続したと推定されています。 備中国分寺跡は国指定史跡になっています。
 寺伝では、廃寺となっていた国分寺を天正年間(1573-1592)に備中高松城主であった清水宗治が再興したそうです。その後、衰退し、江戸時代中期の宝永年間(1704-1711)に再建されたそうです。
 薬師如来を本尊に持つ日照山国分寺は備中国分寺跡に、江戸時代中期に再建された真言宗御室派のお寺なのです。



 備中国分寺の五重塔は江戸時代後期、文政4年(1821)から20数年をかけて建立されたもので県下唯一の五重塔です。高さは34.315mあります。方三間本瓦葺き、3層目までは総ケヤキ造りで、4、5層は松材造りです。
備中国分寺五重塔
 この五重塔は、 屋根の上層と下層がほぼ同じ大きさの細長い造りで相輪も短く、江戸時代後期の様式を色濃く残す代表的な塔です。 昭和55年(1980)に国の重要文化財に指定されています。
備中国分寺五重塔
 塔内は初重内部中央に心柱が立ち、四周に四天柱を据え、その内側に仏壇を作り、四如来像を安置しています。
備中国分寺五重塔
 天井は格子状で天井板には55cm角大の欅の一枚板を使い、彩色画が描かれ、堂内をいっそう荘厳にしています。
備中国分寺五重塔
 絵は全部で104枚あり、四天柱の脇にある4枚の天女図のほかは 季節の花々を描いた草花文です。
備中国分寺五重塔


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