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岡山の旅と歴史
岡山の旅       高梁市

山中鹿介幸盛の墓
やまなかしかのすけゆきもりのはか
岡山県高梁市落合町阿部


 山中鹿介幸盛は、山陰の麒麟児といわれた猛将です。一般には山中鹿之助として知られています。尼子の根城・月山富田城は何度も毛利軍の攻撃を受け、永禄9年(1566)、尼子義久は降伏し戦国大名としての尼子氏は滅びました。鹿介は尼子氏再興を願い、尼子勝久を擁し活動します。
 「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と鹿介が三日月に祈った逸話は有名です。豊後大友氏の援助を得て、一度は出雲へ侵攻しましたが毛利軍に敗れ、織田信長に従いました。上月城で篭城し、3万の毛利・宇喜多軍に敗れました。
 鹿介は捕らえられ、毛利輝元の下へ護送されるはずでした。しかし、ここ高梁川と成羽川との合流付近の「阿井の渡し」で謀殺されたのでした。この墓は備中松山藩士・前田時棟によって建てられたそうです。すぐ近くにある観泉寺には鹿介の胴墓があります。


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