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岡山の旅と歴史
岡山の旅       津山市

中山神社
なかやまじんじゃ
岡山県津山市一宮695
Tel 0868-27-0051


 中山神社は慶雲4年(707)の創建と伝えられる古社です。美作国の一の宮として高い社格を誇ってきました。農耕の神、牛馬の守護神として広く人々の信仰を集め、永保元年(1081)には正一位の神階を授かっています。中山神社の本殿は国の重要文化財に指定されています。
 奥宮の猿神社は「今昔物語」に出てきたり、鎌倉時代の「梁塵秘抄」には安芸の厳島、備中の吉備津とともに関西の大社とし登場しています。全国の一宮の代表(武蔵・上野・伊豆・駿河・若狭・美作・肥後)にも選ばれ、元寇の時などに勅命により国家安穏を祈願したほどです。
 祭神は、鏡作神(かがみのつくりのかみ)とされていますが、金山彦命(かなやまひこのかみ)とする説もあります。古来より牛馬の神として有名です。現在も、鍛金・冶工・採鑛などの守護神、農耕・牛馬の守護神として広く崇敬されています。
 建武中興以後400年間は、美作国は戦乱の渦の中にあり、永正8年(1511)、天文2年(1533)に兵火により焼失し、宝物や古文書なども灰燼に帰しました。永禄2年(1559)に尼子晴久によって社殿が再建されました。明治4年(1871)には、国幣中社に名を連ねています。 

 中山神社の本殿は桧皮葺き、間口3間、奥行3間、1重、入母屋造り、妻入で、向唐破風の向拝一間が付いています。妻入に向拝を設けて唐破風を付けた構造は美作国で見られる独特の中山造りとよばれる様式です。鶴山八幡宮本殿、二宮の高野神社本殿、美作総社本殿なども同じ造り方をしています。
中山神社本殿
 本殿は永禄2年(1559)に尼子晴久が18年の歳月をかけ、再建したものです。斗きょう間の彩色彫刻を入れた蟇股は室町時代の様式で、四周に回した廻縁を支える板蟇股は江戸時代の様式です。明治18年(1885)に現在地に遷座され、大正3年(1914)に国の重要文化財に指定されています。
中山神社本殿

 中山神社の神門は桧皮葺きの切妻造りの薬医門です。津山城二の丸にあった四脚門を明治7年(1874)に移築したものです。柱や梁には太いケヤキが使われています。昭和50年(1975)に津山市の重要文化財に指定されています。
中山神社神門

 中山神社の鳥居は寛政3年(1791)に建てられたものです。花岡岩でできた石の鳥居で高さは約11mあります。この鳥居は中山鳥居と呼ばれ、反りのある笠木に柱を貫通しない貫が通っています。柱より出た部分が全くないため全国的に珍しい鳥居です。
中山神社鳥居

 中山神社の拝殿は入母屋造り、平入りの建物です。特に目立った彫刻や、装飾の見られない質素で簡素な造りになっています。 向拝の下に太く大きな注連縄が張られています。
中山神社拝殿

 中山神社の総神殿は寛保2年(1742)に再建された建物です。御手洗川手前にあったものを大正2年(1913)に移築したものです。美作国の全神祇、山上山下120社、幸宮・宇都宮・小原神社をも合祀しています。
中山神社総神殿

 中山神社の鳥居の前の参道脇に、推定樹齢800年の「祝木(いぼぎ)のケヤキ」があります。胸高周囲9m、根廻り10.5mの大木で、昭和48年(1973)に津山市の天然記念物に指定されています。祝木社の祠があります。この神は元はこの地にいて中山神に国譲りをした先住神とされています。
祝木のケヤキ

 中山神社のムクノキは祝木のケヤキとともに中山神社の社叢を代表する木です。樹齢約500年、目通り5.3m、高さは23mあります。津山地方振興局により、この地方の名木100選に選ばれています。
中山神社のムクノキ

 中山神社の鳥居の左側には推定年齢500年、胸高周囲約4mのイチョウの大木があります。中山神社のイチョウとして津山地方振興局により、この地方の名木100選に選ばれています。
中山神社のイチョウ

 中山神社には鉾立石(ほこたていし)があります。国難のときは本殿に移し、鉾をたてて祈願したそうです。石は縦75cm、横53cmで穴の径10cmほどです。
中山神社の鉾立石


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