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島根の旅と歴史
島根の旅    浜田市

浜田城跡
はまだじょうあと
島根県浜田市殿町123


 浜田城は、元和5年(1619)に5万5千石で入封した古田重治が築きました。徳川頼宣(よりのぶ)の和歌山転封にともなって、伊勢国(三重県)松坂から浜田に国替となったのでした。
 本丸には高さ約14mの三重櫓があったそうです。古田家は藩主が重臣を切り殺すという「古田騒動」のため二代で改易となりました。
 その後、松平周防守家、本多家、再び松平周防守家、松平右近将監家と変遷しました。江戸時代を通して石見地方の政治の拠点でした。
 松平右近将監家の4代目松平武聡(たけあきら)の時の慶応2年(1866)、第二次長州征討に参戦しました。士気盛んな大村益次郎率いる長州軍に敗北しました。
 そして武聡は自らの亀山城に火を放ち、退去したのです。武聡は水戸斉昭の子で慶喜の弟でした。この時、病に臥していたために指揮が執れず、杵築に逃亡し、松江を経て、鳥取に逃げました。浜田藩の飛び地であった鶴田に逃れて鶴田藩主となりました。浜田は長州藩の占領下に置かれることとなったのです。
 現在は城跡は城山公園として整備されています。浜田市勤労青少年ホーム、濱田護國神社などや銅像などがあります。園内には約550本のソメイヨシノが植えられ、市内きっての桜名所にもなっています。
 濱田護國神社は明治維新後の国難に殉じた旧石見国出身の英霊約2万3千柱を祀っています。第二次大戦後は鎮座地名から亀山神社と称していたが、日本の主権回復後に元の濱田護國神社に戻しました。
 木口小平の像画ありました。昭和7年(1932)浜田歩兵第21連隊の営庭に建立され、昭和30年代にこの場所に再建された像です。突撃ラッパを吹いている時に敵弾を受け、それでもラッパを吹き続け絶命しました。その状態にあってもラッパを口から放さなかったという話です。


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