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島根の旅と歴史
島根の旅    益田市

万福寺
まんぷくじ
島根県益田市東町25−33
Tel 0856-22-0302


 清瀧山萬福寺は時宗の益田道場であるお寺です。もとは安福寺という名前のお寺で、石見国中洲浦にあった天台宗の大寺だったそうです。
 正和2年(1313)に遊行した第4代呑海上人が再興して時宗の道場となったそうです。呑海上人は時宗の開祖一遍上人から数えて4代目にあたる上人です。
 応安7年(1374)益田兼見(ますだかねはる)が現在ある本堂などを建築して、萬福寺と改めました。
 益田氏の祖先は右大臣の藤原内麻呂(756−812)といわれ、11代後の大納言の国兼が石見国司のまま残り御神本という姓を名乗りました。
 源平の乱の時、平氏ながら、源氏方として戦い勲功をあげました。これにより石見国内の多くの所領を与えられました。国兼の3代あとの兼高から益田の姓を名乗りました。
 益田兼見は、南北朝動乱の中、益田家の惣領として、北朝側についたり、南朝側についたりと、所領を死守するために各地に転戦して生き残り、益田氏の基盤を作り上げました。自ら剃髪し祥兼と号し、この万福寺で他界しました。その後ここは益田氏の菩提寺となりました。
 万福寺本堂は鎌倉様式の手法を伝える一重寄棟造りで、七間四面、九重造りの単層建築です。国の重要文化財に指定されています。
 益田氏最盛期の15代益田兼尭(かねたか)が、大内氏の山口に逗留していた雪舟を、医光寺へ招聘するなどして益田の地を発展させました。重要文化財の「益田兼尭・水墨画」もこの頃雪舟に書かせたものです。
 雪舟が医光寺(当時は崇観寺でした)の住職になっている時、医光寺の庭園とこの万福寺の庭園も作庭してもらったのです。両庭とも国の史跡及び名勝に指定されています。
 医光寺が力強い武家様式の庭園に対し、万福寺は寺院様式といわれています。須弥山世界を象徴した石庭で、曼茶羅さえ連想されるすばらしい庭園です。


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