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鳥取の旅と歴史
鳥取の旅    鳥取市

池田家墓所
いけだけぼしょ
鳥取県鳥取市国府町奥谷宮下


 史跡鳥取藩主池田家墓所は初代光仲(みつなか)から11代慶栄(よしたか)までの鳥取藩主が眠る墓所で、国の史跡に指定されています。現在、合わせて78基の墓碑が立ち並び、周囲には260基をこえる灯籠が家臣等により供えられています。
 玉垣に囲まれた巨大な墓石群が整然と並んでおり、中央に初代光仲の墓所があります。3段に重ねた亀腹台石の上に「亀趺(きふ)」と呼ばれる神獣を象った台石を据え、鳥取市用瀬町から運ばれた石を加工した円頭扁平な墓標が立てられています。
 初代鳥取藩主池田光仲は寛永9年(1632)父・忠雄が死去し、わずか3歳で家督を継ぐこととなりました。幼少のために江戸藩邸に在住し、領国は荒尾氏を筆頭とする家老を中心とした側近に委ねられました。
 光仲が領国に初入国したのは慶安元年(1648)、藩主となって16年を経てからだったそうです。初入国以後は領国経営に力を入れ、慶安元年(1649)幕府に東照宮勧進を出願し、慶安3年(1650)鳥取東照宮(現:樗谿神社)を完成させています。
 承応元年(1652)には藩の実力者で米子城代・筆頭家老の荒尾但馬守成利に責問十余条を突き付けて罷免し、藩主の権力を強化しました。元禄6年(1693)脳卒中のため鳥取城にて死去。享年64歳でした。因幡国法美郡奥谷村に埋葬され、以後ここが鳥取藩主池田家墓所となりました。法号は興禅院殿俊翁義剛大居士。
 2代藩主綱清の墓碑のみ、時の将軍であった徳川綱吉の「生類憐れみの令」に配慮し亀趺がありません。各藩主の墓前には廟門・霊廟・回廊が築かれていたそうですが、明治以降老朽化のため撤去され現在はありません。


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